2024.06.23

夜中に目が覚めると枕は裏表ひっくり返っていて、体は奥さんにめり込んでいた。寝苦しいとき、縋りたくなる相手なんだなと思う。なんとなく安心して二度寝。寝た気はしない。

朝食を食べて録音。なにも考えていなかったはずが、この数ヶ月のモヤモヤを昇華するような内容になってよかった。話すことがない中で無理やり話すことで出る澱というのがあって、それだけに関心がある。迫られて捻り出すものからしか始まらない。お昼は昨日の鶏煮込みの出汁を活用したラーメン。

夜の用事は巣鴨だし、田端に寄るのはよさそうだった。だから円盤に乗る場に完成した冊子を受け取りに行けたらと考えていたのだけれど、天気もよくないしとぐずぐずしていたら時間はなくなる。奥さんと引越しの打ち合わせを進める。半月後に引越しが迫っている。まだ半月もあるとも言えるけれど、お互い予定のない休日というのがないため、なかなかヒリつく状況。なにかやらなければいけないことがあるということ自体、受け入れがたく、〆切仕事なんかもなるべく早めに終わらせてしまいたい性分だ。じっさい依頼されたらすぐ取り掛かり、できたら寝かせず納品してしまう。実作業の時間というのはいつだって短く、誰もが、やろうとしない時間と、やったあとの吟味や躊躇いの時間があるだけだと思っている節があって、だからこそそれらの時間を省くことで速さを出しているのだが、この発想に汎用性はあるのだろうか。今晩のワークショップの準備も早々に済ませてあるが、これがうまく機能するかどうかはやってみないとわからない。

引越しを言い訳にして〆切仕事の仕上げをいくつか先延ばしにしてもいる。とはいえ〆切まで余裕はあるのだが、できるだけ早め早めに納品したくなる。どちらかというと荷造りよりも原稿からやっつけてしまうべきだった。優先順位のつけ方が間違ってる。いつだって、思いついたところからしか取りかかれない性分でした。やり始めればはやい。やるまでは長くなるかどうかさえわからない。波を待つのだ。波が来たとして、乗れるかどうかはわからない。気がついたら知らんとこまで流されているということだってよくあるのだ。

夕方、一時間くらい余裕を見て家を出る。雨は止んでいてよかった。大塚駅で降りて、都電の印象が強い駅だった。だいぶジェントリフィケーションが進行していて驚く。単一の資本によって演出される一貫性。あまり面白くはない。巣鴨方面へと散歩しつつ、庚申塚の商店街の蕎麦屋で一服しながらレジュメを見返す。考えてみれば講師というのもぶっつけ本番である。その場その場での反応をよすがにとっさに軌道修正を施し、その場の満足感を最大化する方向へともっていく。冒頭の講義だけ作り込み、あとはその場のフィーリングで動かすことに決める。

準備していたのは、いちばん盛り上がらなかった場合のパターンで、だから後半のワークはほとんどその場で思いついたことを試してみることになった。それぞれに書かれた日記が魅力的で、明確に発表を前提とした書きっぷりであるのが良かった。誰かに聞かせること、そのうえで、自身の生活感覚に自閉すること。独自の語彙を躊躇いなく駆使すること。おのおのの優れたバランス感覚が提示されているようで嬉しく、気がつけばフィードバックに熱が入る。ワークショップもプロレスも、受ける側の度量が問われているのであって、極論、発信側の内容というのはどうでもいい。受け手側がよければよくなる。そのことを実感する時間。参加くださった皆さまの受け取る力に感嘆し、助けられた。三時間半に圧縮するには欲張りすぎた内容で、それぞれのパートにやり残しがある感覚があるが、またやりたいと思えるくらいの塩梅がちょうどいいのかもしれない。

帰り道は巣鴨方面へと抜けていく道で、駅前の飲み屋街で適当にあたりをつけて打ち上げ。さぷさぷ杯を重ねつつ、ワークショップの延長のようなやり取りができて愉快。いただいた感想を聞くだけでも、カハタレ周辺の人々の柔軟さや開かれかたの気持ちよさを実感する。みんな、よく聞いているし、なんでも面白がろうという貪欲さがある。気分よく酔っ払ったせいで記憶が曖昧だが、楽しかった気がするので満足です。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。