2024.07.18

午前中ははじめての美容院で散髪。自転車で行ける距離にあるところ。悪くない仕上がりで、このままここに通うでいいかなあと考える。気になるのは、担当してくれたのが若い男性だったのだが、宮崎智之さんに似ている。帰宅するとSさんがきていて、すでに鍵の交換や、残作業をあらかた済ませてくれた様子。レクチャーいただきながら内装用の和紙を柱に巻く。澱粉のりを水でのばして、柱にプライマーを吹きかけておく。和紙を適当な長さに切って、糊を塗った柱に貼り付けていく。水を含ませたウエスで叩いて和紙を濡らすとすこし伸びる。これをコロコロで均していくと空気も抜けるし毛羽立ちも落ち着く。きょうはここまでであとは乾くのを待つ。後日、ウレタンで保護してもいい。お腹が空いて、そうめんをピーマンと鯖缶でさっぱり食べる。

午後から出社の奥さんを見送り、とりあえずで詰め込んだ本棚の整理にうきうき着手。楽しい。しかし旧居では地震でかきまぜられたあとそのまま突っ込んでいたり、空間的制約によって謎の隣接や密集が発生していたところを、ある程度の整理整頓ができるとなるとかえって隣り合う本同士の不意の共鳴のようなものが乏しくなるようなところがある。もうすこしこちらの作為を撹乱するようなノイズを呼び込みたいのだが、まずは退屈なくらいまとめてみよう。どうせ浸かっていくうちにいい感じに荒れてくるだろう。しかし、てきとうなところで分類も飽きてきて最後の方はなんのテーマもないままに挿していったから、そのへんだけはすでによくわからない雰囲気を醸し出している。けっきょく、こちらがいいように並べるというのはあまり魅力的ではないのかもしれない。かといって意図的に散らかすのもいやらしい。和紙を貼るのと同じで、極力きれいにやりきるつもりで、それでも残るヨレや滲みによさが宿る。不完全さは、完全を求めはするからこそ成立するのであって、はじめから開き直ってはそれはそれで陳腐でつまらないものになる。

夕方、すこし涼しくなった頃に本屋BREAD&ROSES に向かう。自転車でどこにだって行ける。近所であると強弁できなくはない距離に本屋があるのは嬉しい。『会社員の哲学』、『ベイブ論』、『二人のデカメロン』を納品させてもらう。売ったお金で『パンクの系譜学』を買う。『NOIZ NOIZ NOIZ』のインタビューで気になっていた本。その足でフヅクエこと喫茶と読書ひとつぶで閉店間際まで『非美学』を読む。ひとつぶはあからさまにフヅクエなところもありつつ、むしろ独自の過剰や不足が魅力的なお店だった。まず、トイレの手洗いの水流がとても強い。小笠原鳥類に読めと言われている吉岡実の詩集も幾冊もあって、わあ、となった。プリンもカレーも美味だった。『非美学』を二章の前半まで読んで、最後の数分は『パンクの系譜学』のさわりを確認。自転車で畑や森を抜けていくとき、安心する匂いがする。フィトンチッド。

帰宅してお風呂。引き続きあれこれ読んで過ごす。関口さんの『『『百年の孤独』を代わりに読む』を代わりに読む』がひたすら千葉ロッテマリーンズの話に脱線するのを読みながら、「私の応援狂時代」を思い出したりして、「代わりに読む」とは応援のことだったんだと勝手に腑に落ちたりする。友田とんさんが長らく応援について考えていることが、ここ最近になって響いてきている感じがある。応援したいという気持ちとはなんなのか。おそらく人は「何者かになりたい」というよりも、自他の区別なく「なにものかにしたい」という欲望を持つのではないか。応援とは他に向かうそれである。そして、何かがなにものかになるとき、その生成や変化に応援というのは特に関係ない。あってもなくてもなるときはなる。ならないときはならない。そんなことわかっちゃいるのだが、人は、何かになれ!と欲望し、念じ、あまつさえ大声で叫んだり歌ったりする。すごい変だ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。