2024.08.20

寝るのが好きなんじゃない。起きるのが嫌いなのだ。

何かの雑談の折に発せられた自分の言に、なるほどそうだったのかと思う。二度寝は気持ちがいいけれど、それ自体が目的というよりも、やはり起きたくないから起きないのだろう。今朝は目覚めが悪くなく、久々の快眠だったなと思う。ふだんならここで瞑目してすやすやするのだけれど、枕元の水筒で水分補給して、目覚めを決定的なものにしてしまったのは、これまで積極的な楽しみだと思っていたものが消極的な回避であったという理路ができあがってしまったからでもあるだろう。起きられるなら起きてしまったほうがいい。言語化によって、理屈を通すというのは、自身の行為の背骨に物語を通すことで、そうして意味づけられた行為は変えることができる。読み替えることがそのまま書き換えることになる。このように行為に可塑性をもたらすことこそ、解釈の力能だ。

初めて『虎に翼』に間に合った。この家に越してから、小上がりにテレビが設置された。それまでは奥さんの仕事部屋でディスプレイ代わりに使われていたのが、ようやく本懐を遂げている格好。朝ドラを観るのが楽しみだったのだけれど、けっきょく起き出すのは終わったころだった。きょうは見ながら朝ご飯を済ませて、終わるころには家を出ることができた。評判通り、よい芝居が観れた。いまから百話追い付くには、二十五時間くらいかかるのか、いちにち二時間として二週間。そのあいだにも十二話進むと考えると、まじめに追いつくのは無理そうだった。見れる時だけ見よう。そのようないい加減な観客であることを認めてしまえるのも加齢による気力体力の減退ゆえであろう。元気が有り余っているからこそストイックな物語に準拠しようという発想が出てくる。生活において、外界の把握のあり方はもっといい加減で、断片的なのかもしれなくて、それで一向に問題はないということを、年々てきとうになる自分自身の身の振り方を顧みて思い知るというのをずっとやってる。

酷暑のなか外出するときは一日に四食なり五食摂らないと間に合わない。そう思い、職場につくと第二の朝食。昼食が遅くなりそうだったから午後すぐに軽食、一四時過ぎにランチに出た。あと水もどんどん飲む。二リットルのペットを買ってしまうのがてっとりばやいが飽きが来そうなときは勿体ながらずに複数個買うことにしている。佐々木敦『ニッポンの文学』を読んでそういえば読んでないやと綾辻行人『十角館の殺人』を読み始め、すぐ読み終えてしまう。すごいリーダビリティだ。一行ですべてがひっくり返る、そのような惹句に期待して読み、さすがに期待しすぎてやや拍子抜けしたところもあったけれど、一気に読ませるのだからすごい。やや古臭い部分もかえって古典の風格を演出しているようにも思える。思ったよりも早く終えてしまったので、通勤の残りはここ数日リュックに伏在していた『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』をひらく。こちらも教科書という題にふさわしくコンパクトでするする読む。パラグラフ・ライティング作成ツールとしてのアウトライナーの優秀さについては、時評はじめ原稿仕事をもっぱらDynalist で進めている身としても頷いていた。問いではなく、アーギュメント──論証を要請する主張──が先立つというコロンブスの卵的な発想の転換も、シンプルながらたしかに!と膝を打つような指摘。僕自身、閃いてしまったアイデアをぶちあげてから、それが説得的に聞こえそうなファクトやロジックを後追いで組み立てていくというのが日々のお喋りや書きものの実感である。日々の行為を読み替え、書き換えるとき、まずは思わずポロっと出てきた発言があり、解釈なり論証なりがあとからそれを補強する形で進行していく。新たにやってきた読解のアイデアが、後追いの理屈で支えきれなかった場合、もともとの書き換えは失敗し、従来の習慣的振る舞いが舞い戻ってくる。習慣を変えるためには、まず別の読み方を提示してみせて、その説得力を励ます必要があるのかもしれない。

ひとはふだん、そこまで厳密に読み書きしておらず、習慣化されたロジックにのっとって感覚的にだいたいで済ませている。なにかの不都合に遭遇し、習慣の是非に疑問を持ったとき、はじめてまじめに精読し、解釈し、構築的に書いてみようという気になる。習慣の自明性を揺さぶるためであり、あらたな習慣を組み上げるための読み書き。僕にとって読むことや書くことは、だいたいにおいてそのようなものだと思う。そして、そのような感覚の組み換えのための読み書きに耽溺していると、組み換え自体が目的化してきて、ふだんづかいのいい加減さを見失いがちである。てきとうに済ませていいところはてきとうに済ませる、そのような読み書きのほどよい中断のために、おそらく日記のようなものに期待できる。すくなくとも僕にとっての日記の効能とは、日々の行為を読み替え、書き換える試行であるのと同時に、まじめに読み書きしていると偏執的になりがちな厳密さへの傾向を、てきとうなところで挫くところにある。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。