2024.09.07

Good morning, cheers.

お昼にラーメンと水餃子、ひき肉ご飯をもりもり食べて、さすがに食べ過ぎでお腹をさすりつつ遠回りして歩いていたら歓楽街のど真ん中で、昼間の身も蓋もない日差しに照らされたラブホ通りですれ違った顔が赤く目の青いおじさんが、颯爽とビール瓶を掲げてそう声をかけてきた時、とっさに言葉を返せず右頬だけで微笑むことくらいしかできなかった。もう真昼だからモーニングじゃないし、こちらは乾かすべき杯もない。とにかく食べ過ぎで気持ち悪かった。

大きな本屋に、トリュフォーがヒッチコックにインタビューした『映画術』を買いに行く。「心の砂地#」というポッドキャストを聴いていたら俄かに欲しくなったのだ。ついでに八巻をダブらせて以来なんとなく貯めていた『氷の城壁』の既刊をまとめて購入。まとめ買いというのは興奮するもので、勢いづいてしまう。家の庭をどうにかするモチベーションのために、これまでは面白そうだけど僕の生活に庭関係ないしな、と遠ざけていたジル・クレマン『動いている庭』や『デレク・ジャーマンの庭』もお迎えしちゃうことにして、さらには『庭のかたちが生まれるとき』も探し出すと、これは哲学思想の棚にあって、ちかくに『遠読』も見つけてしまう。これも気になる本リストに入れていた。二秒の逡巡の末、すべてレジへ。ずっしり重たい紙袋を抱えてにこにこ歩く。

キネマ旬報シアターで『メサイア・オブ・デッド』を見る。キングレコード主催の「ホラー秘宝まつり」の一本で、一九七四年の映画らしい。原題は「Messiah of Evil」で、厳密にはゾンビではないのだけれど、ロメロの『ゾンビ(Dawn of the Dead)』に先駆けて、商業施設の蛍光灯の下で人を襲うグールを描いた作品として名高いとのこと。監督・脚本は『ハワード・ザ・ダック』で悪名を轟かせることになるふたり。よい映画だった。話はたいしたことないのだけれど、スーパーマーケットの陳列棚の間を練り歩く一連の画面で緊張感を高めていき、突き当たり壁面の精肉コーナーで生肉を貪る町民たちに行き当たるところはかなりぐっときた。映画館で、見るからにくだらないマカロニ・ウエスタンにつきあって、そこそこ楽しんでいるうちに、気がつけばガラガラだった客席が不穏な影でぽつぽつと埋まっていく、スクリーン上の画面のだらけっぷりに呼応するような緩慢さで追い詰められていくスクリーンの中の観客を撮るこのシークエンスもとてもよくて、とにかくじっくり、スローなテンポで絶望を深めていく丁寧な仕事だ。そのくせ脚本は舌足らずで、ほつれも多く、よくわからないなりにツッコミどころも満載という塩梅で、そのスカスカっぷりが、むしろじりじりとわけのわからなさに蝕まれていく映画のリズムにしっくりきている。なにより、主要な舞台となる失踪した父親の家がいい。エスカレーターや往来のおじさんたちを騙し絵のような立体感で描いた絵が壁面を覆い尽くしている。観葉植物の置かれたベッドは天井から白い鎖で吊り下げられており、つねにすぐそばの波と同期するように揺動している。建物が面した海の波や風の音がつねに響いているので、室内の画は閉じていながらどこか外側へと漏れ出ていくような気配があり、その印象は部屋に巧みに配置された複数の鏡によっても強められている。グールとなった人たちに群がられて食べられてしまう構図の恐怖よりも、この内と外、有機物と無機物との境を撹乱するような家の奇妙さにこそ、ゾンビ映画のエッセンスを感じた。自我の安定性が損なわれるような、このジャンルの大きな魅力の源泉である不安を見事に視覚的に表現してみせているという点で、他の類似作品から突出したものがある一作で、だいぶ満足。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。