円盤になる派『仮想的な失調』のソワレを見た。古くから見知っている劇作家の芝居が芸劇にかかるというのはなんだか感慨深い。当日券の整理番号が七十番台で集客大丈夫だろうかと心配になったけれど、入ってもいればほとんど満席で、当日券の優遇されっぷりをいぶかしむが、チケットの準備の都合なのだろう。あるいは、割引チケットは番号が後ろだったりするのかもしれない。
場面ごとに投入されるオブジェが、別の見立てとしてリサイクルされるでもなく、ただ照明の圏内から外されて発光をやめ、ただ薄暗がりに蓄積されていくさまにもっとも幽霊の手触りがあった。勝手にポスト・ヒューマン能を予感し期待していたら、驚くほどまっすぐで土臭い人間たちのドラマが提示されて、先の予断を修正するのが間に合わず、うまく順応できないまま終わった。ある発話によって、遡及的にびしょ濡れであったことになる、ある名においてアイデンティファイされる、そのような叙述による認識の訂正が鮮やかに重ねられるさまは相変わらず見事で、モノが蓄積されていく確かさと対照的に、認識はどんどん不確かになっていく。舞台上の人物の移ろいの軽さを前に、観客の自分の固定されっぷりが際立っておかしかった。しかし、それぞれの俳優がそれぞれの方法で演技を立ち上げ、それらが統合されることなく、違い合ったままに共存するという仕立ての面白さは、今回の空間においてはずいぶん弱められるというか、ただ客席よりも舞台のほうが位置が高いという一点だけをとっても、これは演劇なのだという磁場が強まり、慎重に違っている演技の質が際立たないまま、通常の上演の見掛けへと流れて行ってしまったようにも見える。おそらく僕が、意外にも人間臭いと感じたのはこのような事態だったのではないか。もっと小さなところ、あるいはもっと明るいところで見たかったような気がする。
ルミネの上階のつばめグリルでハンバーグ。アルミホイルを破るとき、ソースが盛大にはねて買ったばかりの白いTシャツに四か所大きな跡をつけた。帰って繰り返し洗っても落ちなかった。食べながら奥歯が痛み、奥歯が痛む気がすると言う。だから何度も言ってるでしょ、と奥さんは返す。どういうことか聞くとこの数ヶ月、やんわりと口が臭い、歯医者に行けと仄めかしていたらしい。それは仄めかしと言うにはあまりに露骨に、はっきりと明言されていたといっても間違いではないらしく、しかし僕は歯医者に行くべきと奥さんが発言していたことは認識していたものの、それは親不知が気になり出した奥さんの問題だと思い込んでいて、僕への口臭の指摘とはまったく理解していなかった。びっくりした。さいきん奥さんに近寄るとやんわりと顔を躱されるのに、意識しないままずっと落ち込んでいたことにも気がつく。僕が距離を取られていたわけではなく、いや、とられてはいたのだが、それは口が臭かったからだったのだ。ほっとする。歯医者にさえ行けば、奥さんは顔をかすかにこちらからそらすことなくいてくれるのかもしれないと思えたからだ。
