快晴の日曜日。夏の終わりの青森はずいぶんと気持ちがいい。話によるとここまでいい天気なのは珍しいとも言っていたから、幸運だったのかもしれない。今朝も高田さんが迎えに来てくれる。九時前にはお母様にお礼を述べて、辞す。実家からすぐのところにある老舗、大阪屋で羊羹と銘菓をお土産に買う。大通りには人だかりができていて、きょうはアップルマラソンというのが催されるようで、これから出走のようす。このへんがスタート地点らしい。歓楽街までの道のりはもはやよく知った道で、こうしてほんの二泊でも、朝昼晩と歩くことで体に馴染んでいく過程がいつだって楽しい。昨晩のイベントに来てくれた高田さんの同級生が働いていると教えてもらった弘前赤れんが美術館まで歩く。
弘南鉄道大鰐線、中央弘前駅のホームの脇に美術館までの通り抜け通路が設けられており、駅員に声をかけると通してもらえる。丘からの見晴らしはよく、きょうは雲も少なく山がよく見える。城のある公園の方角に五重塔がのぞいている。招待にしておくよと同級生は言っていたけれど、案の定この朝一番では情報が連携されておらず、でもやはり高田さんは顔が知られているようで、招待にしてもらえた。顔が効くとはこういうのをいうんだな、と感心する。企画展「どうやってこの世界に生まれてきたの?」。映像が多く、午前中にかるく見てみようかという構えでは到底すべてをカバーできない。現代アートの映像というのは、意味や意図が先行して映像としてはつまらないものが多いという偏見があるけれど、いくつかは面白かった。つまらないショットが三つ続いたら次へ進む、と決めて、そうした。いつまでも見ていられたものも一つあった。こちらはずいぶんと長く、最後まで見ていたらいつになるかわかったものではないと不安になってやめた。立体や絵画はこちらの都合に合わせて見る態度が可変であるのがいい。『かたちは思考する』を読んでいるから、やはり形の生成過程が気になるもので、そうすると遠近から試すように見ることになる。煉瓦倉庫を改装したこの美術館の壁面にはもともとタールが塗り込められていたという。それがブラックボックスの壁面として機能しているのだけれど、その黒はもちろん単一ではなく、粘性の感じられるムラがあり、そのテクスチャーが作品の展示のありようにも響いていく。この場所に応じてコレクションから選択され、配置されたという諸作品がこの空間において効果をもっていると感じられるものは面白く、だから映像はやはり不利なのかもしれない。どこであってもそこを暗がりにして、発光したり投影されたりすることで見られる映像が場所を持つというのは難しい。僕が面白く見た映像は、映っているものが見知らぬ土地のレストランや倉庫、路上だという被写体への興味が第一で、几帳面に画面いっぱいに配置された夥しい量のオブジェ、横移動するカメラのシンプルな楽しさが続いていた。そもそも上映空間に入る際に天井から垂れ下がったキラキラのもしゃもしゃを分け入っていく必要があり、その経験がそのまま映像へと接続されているからよかった。いま調べてみると、ミカ・ロッテンバーグ「宇宙製造機(ガーランドの変種)」というもので、二十六分あったようだ。長いよ。展示室で見るものは十三分が限度だと思う。それ以上なら映画にすればいい。奈良美智が関わっていたらしいロックバー、それはセルフビルドの小屋なのだが、とっくに消失しているそれを再現するという作品は、スケールが三分の一に縮減されており、中に入るとその空間の広さへの違和感が面白い。三分の一というのが絶妙で、使えなくはなさそうだけれど明らかに狭いという体感になる。展示会場手前に配された、ミニチュアのエレベーター──じっさいに稼働する──と較べても、このサイズの変更がもたらす効果の大きさがわかる。最後は靴を脱いで複数の液晶に映し出された各国の子どもたちの生まれた時の記憶に耳を澄ますという作品で、まず靴を脱ぐという解除の感覚が要請され、そのうえで子供の声に耳を澄ます。クッションは各液晶の前に置かれているのだけれどそれを無視して、中央あたりで目を伏せて、多言語も混じった子らの声に耳を澄ませてみた。
中央弘前駅に戻り、「さっパス」を買う。これは大鰐温泉までの往復の電車賃と入浴券、さらに二〇〇円のお買い物券まで付いていてたったの千円というとってもお買い得な切符。電車は三十分後とのことで、のんびり待つ。午前中から充実していると、待ち時間さえものびやかで、まだまだ今日という日はたっぷりあると思える。電車が来て、車窓からは山が見える。今は青々としたあの山は、秋が深まると紅葉し、やがて山頂に雪が積もるとそこから冬がやってくるのだという。弘前の冬は山から転がり落ちてくる。際際を縫うように走っていた列車はやがてひらけた場所に出て、林檎畑がどこまでも続く。ちょうど収穫どきなのだろうか。ぽんぽんと赤い実をつけた木々が目に楽しい。温泉街について、散策しつつ道の駅のような施設に併設された温泉施設に入る。切符を切って、湯を使う。サウナもあり、水風呂は泉質も柔らかく冷たいのでいい気持ち。露天風呂の脇で寝そべり青空や山を見やると格別で、ぷへーと思わず声が漏れる。熱めの湯にも繰り返し浸かり、大満足だった。併設された食堂でもやしラーメンとおにぎりを食べ、もうひとつ公衆浴場をはしごする計画だったがもう充分となって帰路につく。ところが新幹線の空席がさっぱり見当たらず、結局とれたのは十七時半の切符だ。いまが十四時前だから、なかなか具合が良くなさそう。とはいえ仕方がない。大鰐温泉駅のホームのベンチでぼーっと、それこそ交互浴の休憩の続きのような気分で風に吹かれているとまたいい感覚がやってくる。あずましい、というやつだろうか。電車の中でもそれは続いて、弘前駅で高田さんと別れ、そのまま新青森駅まで向かってしまう。特急電車の自由席も混んでいて、折よく座れはしたものの盛況だ。やはり朝の弘前で通りがかったアップルマラソンの影響なのだろうか。ランナーは市外からやってきて、走り終えたらさっさと帰るのだろうか。新青森駅の電光掲示板で諦め悪く新幹線の状況を見ると、なんのことはない、青森からは空席があっても、途中の仙台あたりで満席になってしまうようだった。であれば混んでいるのは仙台だ。乗り換えのたびに三十分ずつの空白があったから、新幹線までなんだかんだであと一時間半程度だった。土産物屋や駅弁を見繕い、カフェに落ち着いてきのうのぶんの日記を書いていたらあっさり過ぎていって、始発だから早めに車内にも入ることができた。勢いに任せて車内でもまずは日記を書いてしまう。七戸十和田を過ぎ、八戸、二戸を過ぎ、盛岡に着く手前でここまで書き終える。旅行中の一日は圧縮して辿っても一時間はかかるということだ。あまり詰め込まず待ったり、休んだりする時間も多くとっていたから疲れはそれほどでもない。だからといってこれからMacBookを閉じて、駅弁で夕食を済ませたあと、上野に到着するまでの二時間半くらい、本を読んで過ごせるだろうか。なんか寝ちゃう気がするな。
