2024.10.07

昨晩の新幹線では思った通りぐっすり眠ったが、思ったより本も読めた。涼しく晴れ渡った土地でお風呂に入ったりお昼寝をしたりしたおかげで、遠出の疲れよりもさっぱりしたほうが大きく、なんだか家を出るときよりもきゅるんきゅるんになって帰ってきたねと奥さんから評される。じっさいそうだったと思う。それが今朝起きたら体全体が水っぽくむくみ、あれだけ麗らかだった頭にも靄がかかるようだった。僕の心身が健やかであれる適温であった週末の青森と較べて、関東は気温が十度は高いし、湿気もこもりがち。まったくあずましくない。もういっそこの季節はずっと青森で過ごしたほうが僕はしゃっきりバリバリなのではないか。気候というのは明らかに人の状態や気質を左右する。あまりにぱっとしないので、朝ごはんのあと奥さんと一緒にラジオ体操をして、それでずいぶん血は巡り、調子は上向いた。それでもやっぱり外は暑いし、やってらんないよ、と思いながら出勤。駅のホームに続く階段を降りると、サングラスをかけたワンピースの女がくるくるくるっとバレエの身のこなしで回転しだしたので思わず見惚れた。おそらくワイヤレスイヤホンを装着した女はそのままハイヒールで踊り続け、特急電車が来る頃には何事もなかったかのように屹立して列の先頭にいた。あまりに堂々ときれいに踊るので、人の行き交う白線の内側で、その女だけが透明のようだった。じっさい誰も振り返らないから幽霊だったのかもしれない。いつもの乗車位置から三両分くらい離れていたから、踊りをやめてからは視線をやることもなくなり、同じ電車に乗ったのかもわからなかった。

文芸誌がどっさり届いていて、今月はざっと数えて創作扱いの散文が二十六作。うち新人賞が『新潮』、『すばる』、『文藝』で、どれも受賞が二作だから六作ある。新人の作はなんだかんだで楽しみで、公で所感を述べる初期の読者としての緊張と、未知の何かを読ませて欲しいという期待とがちょうどよく綯い交ぜになった気分がある。だからおそらくこの六作で時評は書くのだろうし、いっそのこりは読まずに済ませたいとさえ思うけれど、『群像』には町屋良平「小説の死後──(にも書かれる散文のために)──」のシリーズが載るし、楽しみなものがないではない。しかし、二十六作か。通勤電車で一日二作は消化していかないと間に合わない計算。うん、面倒だ。大儀だ。面白ければまったく労苦ではないから、面白ければいいなと思う。

残業でペしょぺしょだったけれど、シャワーを浴びて厄を落としているあいだに、奥さんが素敵な晩酌セットを用意してくれて、素敵になった。鶏肉にレバーペーストを詰めたもの、ナッツにチーズ、レーズン、オレンジピールのチョコレートがけ、それに蜂蜜で甘くした赤ワインを合わせる。ごきげんだ。〆に明太子ごはんと汁物。これだけでとっくに日付を跨いでいるけれど、ゆっくりおいしいものを食べてすべてを取り戻した気持ち。明日の手帳も会議の予定がみっしり詰まっていて、どうかしていると思う。こんな世の中、どうかしている。素敵でごきげんなのは僕たちだけだ。あとはみんなどうかしている。でも、ホームで踊りだすほどではないから、今朝のあの人と比べれば、僕だってまだまだどうかしている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。