午前中に時評の第一稿を書き上げるつもりだった。それができたらスーパー銭湯のサウナに行って、そこで遅めのお昼にカレーライスを食べようと企んでいた。今月いちばんよかった「ダンス」を読み返し、ざっと書き、削り、まあこのまま出してもいいかというところまで書く。気分がすっきりする。本棚に収める前に各誌をぱらぱら見やって、保坂和志の文章に触れて活性化する元気がある。そもそもここで引用されている『ワードマップ 資本主義』での樫村晴香のフェミニズムの解説がいい。孫引くが、〈それはひとことでいえば、人間の存在を、その価値や意味や未来によって決定するのでなく、その無価値さや無意味さを含めた現在的存在において、まるごと肯定ないし受容しようとするものといえよう〉──
人間はいつでも、この人はいまどんな役割を担っているかとか、この子はとても将来有望だとか、この人はとてもいい家柄だとか、この子は学校の成績がとても優秀だとか、いろんな褒め方で、人というのは肯定されたり仲間に受け入れられたり、こういう人だと紹介されたりするものだ、しかしこういう言い方は目の前にいる人を褒めているようで、そのじつ、目の前の人それ自身でなく、その人の属性や背景を並べて、それを褒めているだけだ、そうではなくて、その人が役に立っていようがいまいが、とにかく目の前にいるその人を、ただひたすらその人として、丸ごと肯定しよう──というのが、フェミニズムという思想の根本であるとここで樫村晴香は書いている。
(中略)私はちょうどこの頃、樫村と月に一回か二回ずつ会っていたと思う、私はどうカン違いしてたのか言えないんだが樫村と何度も会っていろいろ、個人教授を受けるように話を聞くまで哲学というものについて大きなカン違いをしていた、どう言えばいいか哲学の中身を自分の中にあるイメージとか身の回りにある物や概念によって理解しようとしていた、それは根本的なカン違いなんだがたぶん多くの哲学に関心があって知りたいと思っていろいろ読んでみるんだけどわからない……という人に共通のことなんじゃないか、それで言っておきたいがたいていの哲学の解説書や入門書を読むよりは私が書いてることを読む方が、少しはわかる、あるいはなんかすごく肝心なことはわかる、それはとても漠然としていて人に説明することはできないんだが、「それはひとことでいえば、人間の存在を、その価値や意味や未来によって決定するのでなく、その無価値さや無意味さを含めた現在的存在において、まるごと育定ないし受容しようとするものといえよう。」
という一節に出会って、
「そうなんだよ!」とか、
「こういう考え方があるって、知りたかった!」と、ストレートに受け止めることができるようになっている、哲学とか思想的なことがわかっていると言ってる人は、哲学がわかってる人らしいポーズがたいていあって、そこを必ず迂回させるから話が面倒くさい以前にその人の反応がよくわからない、反応に無邪気さがなくてそばにいる人が共鳴できない、喜びが伝わらない、喜びが共有できない、哲学をわかるというのは喜びを共有することでもある、私はこのあいだ一年振りぐらいに樫村と会って話して、何しろやっぱり思ったのは感情の直接さが彼にはある、私は樫村のそれを基盤として、樫村からいろいろなことを直接性において教えられたんだと思った。
保坂和志「鉄の胡蝶は記憶を夢は歳月は彫るか」75(『群像 2024年11月号』p.283-284)
元気が出るなあ!と思う。それと同時に、こんなに元気ではいられないという立場から新たに小説観を立ち上げようとする町屋良平の「小説の死後」が同じ『群像』に載っていることに頼もしさを感じる。そこで町屋の散文を軸に時評を書き直したくなってそうする。そこうしているうちに十四時を過ぎていて、階下に降りると奥さんが腹を空かしている。いまから作る元気はない、というので一緒にファミレスに出かける。思いがけずデートができてうきうきする。適温で、散歩も楽しい。手を繋いで歩いていたら風も気持ちがよく、今日はもう銭湯はいいか、と思ってしまう。だからしっかりご飯を食べて、胃もたれ気味で、そのまま帰宅してしまう。
郵便受けに梢はすかさんからスマートレターが届いていて、宛名書きの筆跡がずいぶんかわいかったので女の人からの荷物かと思ったと奥さんがいう。はすかさんは一時期じしんのアカウントを妹のものとして動かしていたから、これは妹の字かもしれないね、という。読むとたいへん面白い。そこで次のようにツイートした。
多方面の少数派から熱い支持を受ける気鋭の劇作家から才気迸る著書を恵投いただきました。頼んでもいないのに。住所をつきとめられて。それもまた本書の提示する実践の一つであったという事実に慄然とする。梢はすかは広報、つまり自身の作品を「読んでもらう」方法を、インプレッションではなくロジスティクスとして捉える。既存プラットフォームに依存した瞬間的な情動の動員を目指すのではなく、あくまで泥臭い具体において、「書く」から「読まれる」までの工程を個人の規模でシステム化すること。書いたら後は誰かに拾われて、拡散されて、届いていくことを祈るだけというのではいけないのだ。「読まれる」というところまで、自身の手で実装しなければならない。『一億人に戯曲を読んでもらう99の方法』は、SNS政治がとっくに失効した現在、きわめてアクチュアルな問いをわれわれに提示している。
冗談としてシリアスに書いているのだが、これが思ったよりもインプレッションを稼いでしまい、大丈夫かな、と心配になる。はすかさんが反応してくれていたので、宛名書きが可愛くてひかりさんが書いたのかなと思いましたと戯れに返すと、
ひかりが書きました‼︎ 柿内のお兄ちゃんさすがです。
と返ってきて、奥さんに見せてあげる。怖い、と震えていた。
胃もたれが治らず、漢方服んで安静にしていた。日本の古本屋で『ワードマップ 資本主義』を探して取り寄せる。ようやく好きなものが読めると思い、しかしなんとなく小説の流れを断ち切りたくもなく『フルトラッキング・プリンセサイザ』の表題作を読む。想像していた以上にラブリーな作だ。出てくるひとがみんなかわいらしい。ハンモックで読んでいて、うとうともしていた。
夕飯を食べる気にならなかったのでお風呂に入って、二十一時から大久保さんのYouTubeの収録。終えるとお腹が空いてきてうどんを煮て食べる。奥さんは柿を剥いてクリームチーズと合わせていて、ひと片もらう。
