朝、猫を遊ばせつつの読書は引き続き最前線。
武田 (…)そもそも政府が国民統合の拠点にしたろと思った神社に国民は徴兵逃れを祈願しとるんだよ。喜多村理子『徴兵・戦争と民衆』(一九九九、吉川弘文館)によれば一八八五(明治十八)年正月の『山陰新聞』は、息子や婿が徴兵のくじ引きにはずれますようにというので、出雲大社に雨や雪をものともせず、お百度どころか、千度万度と祈願する群衆が日々絶えないことを報道している。
松下芳男『陸海軍騒動史』(一九五九、くろしお出版)によると、徴兵逃れにとくに応験ある神社は関東では山梨県にとくに多く、南都留郡鳴沢村の鳴沢魔王天神社、忍野の天狗社、南都留郡小立の浅間神社、船津の八王子神社などは、大正の頃までは徴兵検査の前後になると宮司は寝る暇もない状態だったというんだな
横山 それはすごい(笑)。
武田 喜多村前掲書は山陰地方の村々を丹念にフィールド調査して、徴兵検査が近づくと武運長久と言いながら実はムラぐるみで徴兵逃れ祈願のために山籠りする風習が日中戦争がはじまる頃までずっとあったことを報告している。
横山 建前と本音。
武田 だから日露戦争を機運として地域の神社を媒介にして天皇崇拝の国家観念が確成されたといった類の論があるけれども、実態はそうストレートに行ったわけではない。彼女の調査によれば、ムラによっては山籠りしたあと、代表が徴兵逃れにとくに応験があると言われた島取県伯耆町の上代神社や大山の大神山神社の奥宮である下山神社にまでわざわざお参りしている。興味深いのは上代神社の神さんの使いはシタグラさんという白狐なんや。下山神社もシタグラさんを祀っていて、徴兵逃れを祈願する者はこの狐をいただいて自宅に祀ったいうんやな。
横山 へーえ、そんな専門分化した(笑)狐があったの。
武田 このように神社や神祇信仰は、国家にとっては諸刃の刃になりうる。民衆的な公共スペースにもなり、反国家的な祈願や呪術の温床にもなる。横山茂雄・武田祟元『霊的最前線に立て!』(国書刊行会) p.250-251
面白い。国家神道形成史の影にある、土着の信仰のしぶとさ。切り捨てられる側でありつつ、ちゃっかり裏面に残存し続ける気配がある。
『山羊の睾丸を移植した男』はあまりに面白くて三日ほどで読み終えてしまったから、最前線に立つか、カントを読むかしかない。もう一冊足そうか。サイモン・クリッチリー『ボウイ』をつまみ読みしているから、これをメインに持ってくるか。
きょうは集中して作業するぞと決意していて、万難を排してがっつり書いて、読み直して、レイアウトして、読み直して、書き直して、並べ直して、読み直して、としていく。本文についてはだいたいよしとする。今日ゼロから書いた分については読めた気がしないから、寝かしてまた再読する必要がある。なんとか三月に間に合わせることができそうな気がしてきた。けっきょく書き下ろしは少ないとも言えるし、日記を素材として再構成するほうがまっさらな状態から書くより格段に面倒、とも言えた。本を作っているあいだは、なんだかんだで骨が折れるし、だるいし、疲れる。でも楽しいし、元気にもなる。わざわざ疲れることをしないと元気にならない部分があるというのは人体の不条理だ。
昨晩階段から落ちて、右の足を突き指というか捻挫というか、とりあえず痛い感じにしたのだけれど、きょうは一日中けっこう痛くて困った。歩くのがかなり億劫になっている。見た目はどうにもなっていなかったのだけれど、夜になると赤くなっていた。明日は歩けるだろうか。
くたびれて、息抜きに映画を見る。『宇宙人の画家』。前半はなかなかよかったけれど、後半になってぜんぜんダメになった。総じてつまらなかったけれど、横山茂雄が映るたび愉快な気持ちになったし、構図はけっこういいのがあって、まあいいかなという感じ。ちょうどよく脳を休められた感じがする。
きょうはほとんど一日くっついていたから、僕はもう足りているのだろう。猫は奥さんが帰ってくると、そちらに構って欲しそうだった。ずっといるほうではなく、いまはいないほうに興味を持つのは、あまりよくないよ。
