昨晩サボってしまったゆにここカルチャースクール主催の香山哲「完成させるためのゲーム教室」をアーカイヴで受講。けっきょく宿題もやらないままでいて、でもそうやって自分はこのくらいでやってみようという加減を自分で決めてその通りにやっていくというのは悪くない気分で、なんでもちゃんとやろうと思わない練習というか、いや僕はもう十分ちゃんとしていないのだが、ちゃんとしすぎないままに最善を尽くしてみるというのをやってみている気がする。『湯圓』 をさっそくプレイして、気づけばだばだば涙が溢れていた。キッチンから奥さんがやってきて、慌てて鼻水を拭う。
昨晩は何をしていたのかって、ファミレスでパフェ食べて帰ってからは『スプリット』を観ていたのだ。僕はシャマラン監督が好きだなあ、と久しぶりに思い出した。とはいえ僕は『ヴィレッジ』を映画館で観て以来、『レディ・イン・ザ・ウォーター』は飛ばして『ハプニング』をDVDで観てそれきりだったから、適当なものだった。今日はその勢いのまま『ミスター・ガラス』を観て、ますますシャマラン監督が好きだなあという気持ちが募った。彼の映画を見ると、毎週テレビであるいはVHS で母親と映画を観ていた頃のワクワクを思い出すというか、彼は今でもそういうワクワクで映画を撮っているのではないかと感じる。設定の子供っぽさとか倫理観の甘さとか、なによりストーリーにおける「どんでん返し」なんてどうだっていいのだ。映画を観ている間、夢中になっているか、キャラクターを好きになっているか、それだけでいいのだ。アニャ・テイラー=ジョイ目当てで、見始めたけれど、観終わる頃にはすっかり、いやあ、映画っていいもんですね、とニコニコしている。僕にとって映画とはもともとテレビで観るものだった。格好つけたくなるお年頃からずっと、劇場で、あるいは一人でヘッドホンして難しい顔して向かい合うものになってしまったが、結婚してからは奥さんとヒャアヒャア騒いだり、だれてくるとスマホすらいじり出すくらいのいい加減さで観られる類の映画をまた観るようになって、それはすごくいいことかもしれなかった。映画とはまず楽しいものだった。どきどきするものだった。それで夕食後は水野さんや淀川さんの映画解説をYouTube で流してはニッコニコしている。
思い出すのは、僕は小さい頃、つまり映画がテレビのものだった頃、僕にとって映画とは爆発とおっぱいだったということだ。とにかくカタルシスとは爆発のことだったし、火薬の量は多ければ多いほどよかった。爆発がないまま映画が終わると締まらない気すらしたし、とにかく爆発さえあれば満足だった。あとは車が壊れるのお好きだったから、車の爆発がいちばん好きだった。『鳥』とか。映画のおっぱいは特別だった。なぜなら小学生の僕にとって、おっぱいは漫画か映画だったわけだが、漫画のほうは乳首がないのだ。少年漫画のつるんとした白い丸みとして表象されていて、ちゃんと乳首が描かれていたのは浦沢直樹と手塚治虫だったが、それらは絵柄が大人っぽすぎるか昔っぽすぎてぐっとはこなかった。今の自分にしっくりくるような絵の漫画はやはり決まってつるんとした白い丸みでしかなかった。それが映画では乳首がみれるのだ。しかもほんものの。僕はあの頃見た乳首を忘れないでいる。というかおっぱいが出てきた映画に対する記憶力がすごい。該当のショットだけでなく、前後のショットも合わせて、シークエンス単位ですぐに思い描ける。特に印象的なのは『ゴッドファーザー』で、さすが大人の映画だと思った。『薔薇の名前』はまだセックスを知らない年頃に観たけれどいちばんエロいということはわかって、セックスのなんたるかの目星がつき始めた中学生になると誰も家にいない時にVHS の問題のシーンまで早送りしてはそこばかり観ていた。あとは『刑事ジョン・ブック 目撃者』、『燃えよドラゴン』、『バグダッド・カフェ』、『ブレードランナー』……、全容は覚えていなくてもとにかくおっぱいが出てきた時のおっぱいだ! という感動だけはずっと残っていて、我ながら知的なシネフィルの素養のなさに悲しくなってくる。いまとなっては『ゾンビーバー』や『ピラニア3D』など、おっぱいを目的としたような映画も好きで観るが、ませがきの頃は、衛星洋画劇場でかかるような、ちょっと知的な舶来の匂いがする名作を観てますよ、という背伸びも含めて映画が好きだったし、背伸びなりに小難しい理屈や感情の機微をちゃんと捉えられているという矜持もあった。おっぱいもだから、本来だったらこんな年齢で見てもわからないだろうものをちゃんと理解している僕だからこそ見られるものだ、というような特別感が嬉しかったのだと思う。洋画は、それも爆発が一回もないような洋画は、大人の感じがしたし、おっぱいが出てくるとそういう大人の感じをわかることができているという誇らしさもいっぱいになった。
シャマラン監督の映画は、そんな子供の頃の映画との関係を蘇らせてくれるようだった。きょうはもう時間が来ましたね。それではまた明日お会いしましょう。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!