2025.04.11

六時にパチッと目が覚めて、七時にコーヒーメーカーが起動するからそれまでは寝ようかと嬉しい気持ち。ごろごろしながら奥さんの寝顔を眺めたり、猫の動きに耳を済ませたり、七時を待ち、コーヒーメーカーが起動し、八時前まですやすや入眠。しまったことだった。保温されていたコーヒーを飲みながらツナマヨトーストをつくり朝食。朝に本を読む習慣をつくろうとしていたのに、春になってからだいぶ崩れている。それで本が読めていない気分になっているので、今朝は新書でも読んで、さくっと読み終える充実感を得るか、と考える。日記に書いたか忘れたけれど、僕は、目的意識をもってしまうと過程がすべてうざくなる。それでただ結果だけをインスタントに欲してしまうことで、たとえば料理や食事が効率的に捌くべきタスクになりかねない危険を有しているということを最近よく考えている。読むべきだと思っている本も、だからさっさと読み終えたという実績だけ欲しくなる。楽しいから読むだけなのに、読んだ後に幻視している何かのための手段のように錯覚することがあり、そういう読書は楽しくない。あらゆる行為を、なるべく自己享楽的に、目的のための手段、省略することが望ましいコストとして感覚しないで行為することが肝腎。まあそんなことを考えていて、だから、國分功一郎の目的と手段のシリーズでも読もう。行きの電車で目的のほうをだいたい読む。新書は速くていいなあ。読了という目的をインスタントに達成できる。

昼休みは手段のほうを読む。これはいつだか梢はすかさんがカントの話だと教えてくれて、たぶんそれでKindleで買ってたっぽい。『人間学』の話をしている。カントは与太話もカントなのだな。しかし『人間学』が与太だというのは耳学問に過ぎないから、いつか読むだろう。まずは三批判書かなあ。『プロレゴメナ』は二ページ読むと寝ちゃうから、なかなか進まない。

なんかこの時期は雨ばっかだな。雨のたび、ばかがよ、と悪態ついてる。傘とかいう不完全な愚物。

さいきんほんとうにSNSを見てない。閲覧制限の一分以内に奥さんの呟きを見るくらい。この日記のように、誰か見ているのかもわからないところに書くのでもふつうに充分楽しいな。とはいえみんな元気だろうか。みんなって誰だろう。見ないでいるとすぐいないみたいになるけど、目の前にいないのにいる気がしてる方が変ではある。

退勤後は新宿のロイホで大久保さんとプルーストを読み終えし者たちの談義。もう五年も前だし忘れちゃってるから大久保さんのお話を聞きます、と言っていたくせに、早々に、あれもこれも思い出した!となりべらべら喋った。収録後も閉店まで粘り、オースターの分厚いやつの話を聞かせてもらってかなり面白そう。読みたい。

電車から降りて駅舎の階段を降りていると、前方に見知った後ろ姿があるので早足で追いつくと会社の飲み会帰りの奥さんで、僕の顔を見た途端にぱーっと笑顔になるのですごくかわいい。奥さんはいちど乗り過ぎて引き返してきたらしく、そのおかげで偶然ここで合流できた。早く会いたかったんだ、とごきげんな様子で、こちらも嬉しくなる。一緒に帰宅するとルドンが階段の定位置で待ち構えており、うにゃうにゃとやたらおしゃべりだ。遊んでやると素足を掴んでけりけりしてくるので痛い。なんでそんなことするんだ。気がついたら検索窓に「ルドン 人の足 けりけり」と入力していて、もうすでにうちの猫が全世界の猫を代表すると思い込んでいるらしい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。