2025.04.15

七時に目は覚めるが、起きる気が起きない。食事を終えたルドンが呼んでくれるから頑張って起床。コーヒーを持って、おはよう、と声をかける。ちょっとだけ膝に乗って、三ストロークくらい撫でさせたところで、すん、として階下へと降りてしまった。あ、そうなの、と思いながら『声の文化と文字の文化』を読む。一昨日のカレーを温めて朝食。鍋のふたを落として、取っ手が取れてしまう。奥さんにそのことを報告して家を出る。雨が降っていたらしいが、もう晴れていて嬉しい。桜はすっかり芽吹き、明るく黄色っぽい緑いろの若葉がにょきにょき生えてきている。庭の雑草も花をつけ、繁茂の気配が著しい。春は花の季節のようでいて、芽の溌剌さのほうが印象が強い。これもまた、この前の散歩のさい、奥さんが言っていたことだった。奥さんがいなければ季節も感じられない可能性がある。

通勤電車ではカント。労働。昼休憩は石牟礼。疲れて久しぶりにFGOの周回。きのうのスクリーンタイムは十三分だった。MacBookで作業はしていたからそれだけではないのだけれど。きょうはFGOで一時間以上。いちいち時間がかかるのだな、とわかる。もうまじめに再開することはできないかもしれない。どんどん醒めていく。そのくせ一時間以上触っている。アディクションになった薬や酒を抜くのってこういう感じなのかな、と思う。また明日からも離れているような気もするし、あっけなく再開しそうでもある。

帰路、じぶんのポッドキャストを聞いていて、録音された僕が声を詰まらせ泣き出すところで笑いながらやっぱり泣いた。今回のエーステを見て、明確に、止まっていた時間が動き出した。きょう、マスクをすっかり忘れて一日を過ごしていた。エーステを初めて見たのは二〇二〇年で、配信で見た。そのころは俳優たちはフェイスシールドを着用していた。客席のカントクが声を出せるようになったのはつい最近のことだった。はじめてかれらがカントクのために歌い踊ってくれたのは、まだ声で応えてあげられない時期だった。いまではもう、こちらから歌いかけることもできる。そして、演劇に出会う話は、演劇と過ごしていく話へと育っていった。僕にとってのエーステはコロナ禍の光だった。そのようなエーステは今回で終わった。じぶんのなかで明確に終わったのだ。これからまた始まるのかは、まだわからない。はじまったとしても、それはもう同じものではない。ひとつの季節が終わりを迎え、永遠になったのだと思う。それは寂しいことでも悲しいことでもないのだけれど、やっぱり淋しい。

最寄駅から遠回りしながら弟と電話。長電話になったので途中で帰宅。二〇二〇年は僕が三十歳になった年でもあった。エーステとともにあった三十代前半は、やはりどこか止まっていたものだという気がする。生活はずいぶん様変わりしているし、それこそ満開カンパニーのみんなはずいぶん成長したけれど、それでも、この五年は、失われたもののような感覚が強い。そのようなぽっかりした空白のような時間だったからこそ、そこをエーステが埋めていた。それにどれだけ救われたか。今回の公演で、これまで今を助けてくれたエーステは、みずから過去を救い、過去に救われるような上演になった。季節は終わったのだ。次の季節を一緒に過ごせるかはわからない。僕はまた動き出さなくてはいけない。

奥さんといなかったとしても猫飼ってる?みたいな質問を弟にされて、奥さんがいなかったらというのは意味のない仮定なので答えられないと応えたが、じっさい、僕はもう奥さんなしには考えられない。奥さんがいなければエーステも知らなかったし、猫もいなかったし、家もなかったし、季節も感じられなかったし、何もなかった。奥さんが僕の人生を決定的に違えてしまった。僕はこれまで自分がカントクだと思って生きてきたが、違ったのだ。奥さんこそが、カントクだったのだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。