2025.04.14

めちゃ眠だけど七時起き。がんばって目を開け続ける。『耳のために書く』を読み終える。いい論集だった。石牟礼道子を再開する機運が上がってきた。『苦海浄土』を読み始めたのは二年くらい前だろうか。日記を検索したら三年前だった。繰り返し冒頭の百頁くらいを読んで、間が空いて、また頭から読み返すというのをやっている。今度はどうだろう。

午前、ルドンが聞いたことない声で鳴いていて、窓越しに庭のほうに前脚をちょいちょいと持ち上げながらずっと喋っている。なんだろうと思ってみてみると、庭に猫がいる。引っ越してきた当時からうちの庭や軒先を我が物顔でパトロールしてる外猫で、冬のあいだ見かけなかったのだけれど、ぶじだったみたい。かなり強そうだから、遭遇したらルドンはビビるかなと奥さんと話していたのだけれど、めっちゃ話しかけるじゃん。威嚇かもしれないけど。尻尾は地面に擦る形で左右に振れているから、ここは俺の場所だぞ、ということなのだろう。しばらく興奮した様子で庭を見ていて、奥さんは、これを機に外への興味が高まるかもしれないから脱走対策により気を引き締めないとね、といった。なるほどたしかにな、と感心した。僕はただ呑気に面白がっていただけだった。

iPhoneを一階に置いて二階で労働。在宅労働の息抜きに本棚を触って耕す。ずいぶん荒れていて、統一感も流れもなくなっていたのが、けっこう嫌だったらしい。隣り合いたそうな本たちを引き出し、挿し入れ、窮屈そうな緊密さを緩めるように撹乱する、そうして極私的な文脈をつくっていく。触れば触るだけ本同士の緩やかなネットワークがのびやかにひろがり、息がしやすくなる。いいぞ、と思う。僕が元気になっていく。久しぶりに鉛筆も削る。削ると気分が出てきてノートに「鉛筆を削る」と書く。頭が動き出す。本の入れ替えで体を動かすと爽快。もっとこまめにいじったほうがいい。

カント。久しぶりに捗る。本棚を整理して、いま読んでいる本のコーナーを思い切って削ったから、すっきりとした見通しが立ってきた。カントと石牟礼道子に集中してしまおう。カントの伴走に、これもまた途中で寝かして気がついたらずいぶん経っている『社会秩序とその変化についての哲学』を布陣して、石牟礼の側にはマクルーハンとオング。そのあたりの四、五冊にいったんがっつり取り組んでいく——四、五冊で片付いて感じるというのは最近の多読濫読の散らかりっぷりがよくわかるが——ほうが健康によさそうだ。鉛筆で「カント 文-形式 批評」「石牟礼 声-自然 反散文」と書く。まだまだ粗く、未整理な図式だ。抑制とざわめき。理論-実践の図式と、それに収まらない身体のリズムへの意識を両方同時に考えてみたい。

ちゃんちゃん焼きを主に、胡瓜とタコの三杯酢。エーステACT 3前編Aの千秋楽を夕食を食べながら見て、食べながらでもやっぱり飛鳥晴翔の侠気に二人で泣く。フヅクエ再現チーズケーキは、一晩経って味が落ち着き絶品に。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。