2025.04.23

オング『声の文化と文字の文化』と併読してることで、カントが試みる悟性と理性の切り分けの意義を考えやすくなっている気がする。悟性とは経験的で文脈依存的な声の文化であり、理性とは超越的で独我論的性格をもつ文字の文化である、ということにしてみる。『プロレゴメナ』第四一節にはこうある。訳は岩波版。

悟性と理性を一括りに「理性」と思いなすことは、一次的な声の文化と文字の文化(およびその圏域内における二次的な声の文化)を、言葉の文化として同一視して混同することで、両者の質的差異を見逃すことと似ている。というか、おそらくカントが格闘している純粋理性とは、文字の文化そのものというような気がする。

本屋lighthouseで買うつもりの『スロー・ルッキング』の書影や惹句に触れてから、そうだよな、スローって大事だよな、と不思議と腑に落ちて、メモは紙に鉛筆に持ち替え、スマホの表示を白黒にしてスクリーンタイムを二時間以内に抑えて、日々をゆっくりやるようになっている。読む前から読んでいるというか、すでにこの本の内容から乖離している気もする。

たぶんほかにもきっかけはいくつかあって、ずいぶん前に読んだジジェニー・オデル『何もしない』が遅効性の毒のようにじわじわ作用しているとかもありうる。Bluesky で工藤郁子さんが固定表示にしている投稿からリンクされている記事で、以下の文章が引用されていた。リンク先のエッセイの引用は「Dense Discovery」というニュースレターからの孫引きで、ニュースレター319号のエピグラフに用いられている。大元はJustin Welshという起業家のツイート。

たぶんこの文句もまた、大きなきっかけのひとつになっている。現代における贅沢とは、明晰に考えられること、深く眠れること、動作をゆっくりにできること、そして静かに暮らせること。これらすべてを妨げるように設計された世界において、この四つこそが贅沢なのだ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。