2025.05.19

たくさん寝た。週末の日記を書いていた。なるべく欲張らず、一筆書きにする。多くのものを取りこぼし、どうでもいいことばかり書いてしまうのをよしとする。どうせ書き尽くすということはない。むしろ生活の立て直しが大事。週末のあいだ忘れ続けていた回覧板、溜まっていた洗濯、それらは僕が寝坊しているあいだに奥さんがてきぱき片付けてくれていた。本当はもっと急ぎのタスクがあったのに、ついやってしまいました、そう奥さんは話す。目の前の気になるところをいったん忘れて優先順位を上からやっつける、というのは簡単ではない。

僕は家の片付け、昨日までの本の売り上げの帳簿管理、そして日記を済ます。夕食の仕込みもやっておく。ルドンは長らく放っておかれて可哀想だからぞんぶんに遊んでやりたい。そう考える奥さんが遊んでやると撫でられたいようであまり遊ばない。また耳やお腹のはげが悪化していた。舐め壊し防止の服やエリザベスカラーを奥さんに装着される。服を着せられてしょんぼりした様子で膝に乗ってくる。かわいい。ぷいっと出かけ、しばらく一階で微睡み、また仕事部屋の足元までやってきて、腕時計が照明を反射した光の粒に噛みつこうとし、ぺしぺしと壁を叩く。遊んでやろうとするとどこかへ行ってしまう。なんとなくいつも以上に散漫で集中力に欠いて見えて心配。抱っこすると珍しく嫌がらず喉を鳴らす。嬉しいが、さあ遊ぼう、とおろすとやっぱりさっさとどっかに行ってしまった。あっという間に日が暮れる。月曜はだいたい日記に圧迫されてる気がする。翌日に日記を書くことが増えたことで、起きて寝る、という行為を記述することが増えている。べつに起きて寝るまでを律儀に書かなくてよいが、それがいちばん頭を使わずオートマティックにできる書き方ではある。やはり散文として書くなら日記はその日のうちに書くに限る。そうでないと日誌になる。閉じてから書かず、常にただなかで書く。しかしそんなこと、充実した時間のなかではできるはずがない。日記は退屈で単調な日々のほうがよくなる。楽しい日々のためには、つまらない日記が続くほうがよいとも言える。毎日を楽しく過ごし、日記をつまらないメモで済ますほうが楽しいのだから。その場合、別の何かを書きたくなってくるのかもしれないが、もちろん、毎日がつねにはしゃぐ感じの楽しさで満ちていることはないし、パーティには退屈がつきものである。

老人のつもりで日記を書きたいと思う。さいきんはこの日記の文体が年相応でなくなっている気もするから。いつまでも若い気でいるよりも、今のうちからもっと老けておいたほうがいい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。