2025.06.11

疲れが取れず、昼までのんびり過ごすことに決める。図書室のソファベッドで人間二人と猫とで川の字にならんで二度寝。それからスーパーで買い物。霧雨だったが二人は意地でも傘はささなかった。午前中のスーパーは活気がある。主に鮮魚コーナーの影響だろう。あれこれ買い込む。外に出るとむわっとしており、日本の夏だ、と奥さんがこぼすので一緒に顔をしかめて嫌がる。濡れたアスファルトの、カブトムシが喜びそうな臭いがする。観音もなかを半分こしてコーヒー。すこし作業して、ルドンに構う。いつものようにすん、すん、と顔に鼻を近づけて嗅いでくるのをそのままにしていると、かぷっと上唇に噛みつかれてぎょっとした。柔らかなピンク色の肉に、けっこうしっかり牙がさくっと。慌てて消毒する。早めの昼食を済ませ、そうしていううちに雨がやんでいるのでその隙に出かける。稽古の日はリュックが重く、体に負担がかかる。でも本は持っていきたい。『知覚の宙吊り』を読み進め、二章まで。面白いなー。注意と散漫は、同時に成立したものであり、切り離すことはできない。特定の何かに注意を促すような管理の発想が片やあり、しかし、それに過剰に順応してしまうと、むしろ過度の注意によって対象の統一的な認識は崩壊してしまう。この両義性が繰り返し言われる。乗り換えのタイミングで『ダロウェイ夫人』に切り替える。これもまた注意と散漫の小説ともいえる。来週、これについておしゃべりする用事がある。

日中、愉快なメールがあり、ひさびさにすぐさま返信をした。急ぎである、と明記されれば今でもまだこの程度にはすぐさま反応できるのだ、と嬉しい。さいきんはどうにも先送り、溜め込みがちである。ぱっぱと返していくほうが気分はよい。なぜやらないのか。うるせえなあ、疲れてんだよ。などと書いていたら嬉しいメールがもう一本。こちらもさっさと返す。気がついたときにやってしまう。しかしなんか忙しいな。忙しさは忙しい人が好きだから、依頼というのは待っている時は来なくて、抱えている時にいっぺんに来るのだ。

今日の稽古には友田とんさんも来てくれて、その場でどんどん出来上がっていくさまを見てもらえたのが嬉しい。今週末には本番だ。うう、そわそわするなあ!

帰宅。お風呂に入るともう二十五時になりそう。アイスを食べるまで寝るもんかという強い意志。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。