書評を依頼されている本と、解説を依頼されている本があって、どちらも二千字とかだった。どちらも払いは悪くない。ただ現物がないタイプで、ふだんは書籍分も儲けとして発想していたからすこしだけ物足りない。たぶん一冊はあとでもらえる。内容に言うべきことがなければ製本について書く、というのが、この場合できない。両方ともゲラをPDFでメールでもらった。見開きだとパソコンからしか読めないから、Kindleに配布できるように単一ページごとのデータも用意してもらう。これだと電車でもお風呂でもトイレでだって、どこでだって読める。職場では難しい。労働日は、その気になれば一冊読み通せさえできるであろう時間を、空費であろうとも労働として過ごさなければいけないというのが、いつまで経っても納得できない。不思議なことだ、と思う。物価も賃金も上がれば経済が成長したことになるというのも妙だ。ふつうに需給のバランスが一定に保たれ、交換レートが安定している方がよくないだろうか。あるいは、賃金が上がる嬉しさというのは、物価との相対によって成立するものであって、両方が一緒に上がっていってしまったら、体感としてはなにも上がっていないのと同じことだ。いまは物価だけが上がっていて、これがまったく嬉しくないのはよくわかる。
読むべき本を読みたい本のように読むのは難しい。きょうはできそうにないので、ただ読みたいだけの『社交する人間』を読んでいた。本読む仕事は嬉しいけれど、それで本が読めなくなるのはナンセンスだ。好きなことは好きな時に好きな風にするから楽しいのであって、いつでもどこでもなんでもハッピー、ということはない。