2025.07.14

明け方、足元で寝ていたルドンが二人の胸の上に交互に載ってきて、そのまま興奮して手にじゃれついてきたり、タオルをけりけりしたり大暴れだった。二度寝して、朝に目は覚めるのだけれど、どうにも起き上がれない。タオルを猫にとられて冷房に体が冷えたというのもありそうだけれど、なにより気圧がとても低いのだと思う。内側からの圧に負けており、外からの圧迫でバランスを取らないといけないという感じ。ジーンズを履いて、すこしでも着圧をかける。でも、雨で濡れてびったりするのは気分がよくない。のろのろ通勤し、天気予報を見て、ああ、台風か、と納得する。しまったな、家で労働したほうがよかったかもしれない。夕方まで会議が詰まっており、帰りの時間を前倒すのは難しそうだった。でも、足が速い台風のようで、昼過ぎにはずいぶん北のほうへと移動していた。土日の日記を移動中にまとめて書く。だから本は読んでいない。『Mr.フリーズの逆襲』をちゃんと見たい気持ちがある。あるいは、九〇年代末くらいの、つまりは僕が小学生のころにレンタルビデオで見たタイプの娯楽作をあれこれ見てみたい気持ちになる。あのころって、かなりつまらない映画が量産された時期なんじゃないかと思うのだけれど、そういうものにこそ育てられてきた自覚もまたある。当時見そびれたものも含め、見返すいい機会な気がする。『エボリューション』とか、『ワイルドワイルドウエスト』とか、『スペース・ジャム』とか。いま振り返るとほとんどワーナーなのか。挙げたものだと『エボリューション』しか見ていないが。残りの二本はレンタルしたVHSに入っている予告編で気になってはいた。『マスク』とか『ラッシュアワー』とか、いま見ても面白いだろうか。『リトル★ニッキー』は、ジャケットを眺めて、これはくだらなそうだぞ、と自分の意志で借りた初期の一本としてなぜか印象に残っている。たしかポップがついていて、B級を超えたZ級映画、みたいに書かれていたのではなかったか。それまでは母から教わるいわゆる名作を見ていたコンサバな子供だったはずなのだが、このとき、でもくだらないやつも好きなのだ、という自覚が、自覚というほどでもなく芽生えたなどというとあまりにも大人になって捏造する子供のロジックだ。それに、ここまでに列挙したほとんどは、たぶん当時から、下品だな、と感じていたはずだし、いま見てもその嫌さは変わらない気もする。この二十年ちかくの大作映画のセンスの洗練はすごいものだと改めて思う。個人の感覚としては『ボーン・アイデンティティー』シリーズの手持ちカメラがひとつのターニングポイントだった。僕はあの映画の衝撃で、映画とは、カメラが演技するものなのだと知った。こうして書いていくと、実家の近くのTSUTAYAの袋の石油臭さが鮮明に蘇ってくる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。