2025.07.31

昼食を済ませたあと、出かける用事のある奥さんについて家を出て、下北沢に向かう。電車では早々に奥さんとお別れで、それを淋しがっていると、まだあと数駅一緒にいられるじゃん、と軽やかに励まされる。もう、と考えるか、まだ、と考えるか、奥さんは明らかに後者だ。僕も見習おうと、まだ次の駅まで一緒にいられるね、というと、苦笑された。それは流石に、もう、だわ。

阿久津さんに借りた『映画史』を返すというのもあるし、何か一冊、小説をfuzkueで読み通したかった。週末に夏祭りがある本屋lighthouseで『トピーカ・スクール』を取り置いてもらっているけれど、ずいぶん好きだったはずの『10:04』の記憶は断片的で、覚えているのは、ハリケーンの夜に立ち現れる幽けき親密さ、精子提供のための個室でのドタバタ、砂漠の花火と鉱物についての思索、そのくらいだったから、これを読む。奥さんを見送ったあとの電車では『エッフェル塔試論』を読み始める。そのまま下北沢についてからも、fuzkueについてからも、しばらくエッフェル塔についてのめくるめく批評に引き込まれてしまう。平日であればいつでも入れると油断していたけれど一階はほぼ満席で、予約の有無を問われたからもうダメかと思ったけれど入れたので二階にはじめて席を取って、パフェとデカフェのダージリンを頼んで、パフェが終わるまではエッフェルしようと決める。

それからがっつり六時間くらいかけて、『10:04』を“とにかく全部”読み通した。「砂漠の花火と鉱物についての思索」のシーンは存在しなくて、遡及的に過去の読書が組み替わってしまった感がある。それはそれとして、今回の読書で僕は作中主体よりも歳上になっていて、アレックスよりは歳下で、そういう距離によってもビューが、頭足動物の拡散した触覚のようにして認識する世界が、日々劇的に変わっていることを実感するようだ。

途中、トイレを使うために外に出て、本屋B&Bに寄る。入ってすぐの新刊島に『女子プロレスの誕生』があり、なんだか欲しくなり買うことにする。町屋良平の批評の冊子は、直販しかしないときいていたけれど方針が変わったのか置いてあったので喜んで取る。最後に迷って、『プルーストを読む生活』のころはずいぶん好きで影響も受けていた、いまはずいぶん冷静な距離がある、と思いつつ、でもまあ、もう受け取れるものはもうぜんぶ受け取ったと決めてかかるのも勿体ないか、なんか特典もついてるし、と香山哲の『スノードーム』もレジへ。そう、もう充分、ではなく、まだ何かあるかも、と期待することが大事だ。楽しく過ごすには。

帰りは『女子プロレスの誕生』。家に帰ると猫がやたらと抗議してくる。撫でくり、じゃらし、撫でくり、じゃらす。トイレも掃除する。撫でくり、じゃらす。すっかり夜更けになってようやくお風呂。お風呂ではKindle Unlimitedに入っていた『海がきこえる』。fuzkueの日は読む姿勢がシャキッとして、ずっと読むモードが続く。奥さんが帰ってくる。猫がまだねだるので、じゃらす、撫でようとするとしがみついてきて甘噛みしてくる。いまは遊ぶ時間!と全身で主張しているのか、そろそろ眠たくて不機嫌なのか、台風で気が立っているのか、どうなんだろう。さいきん、撫でていると急に襲い掛かってくることが増えていて、これが一過性のものか、もう大人しくて甘えたの猫ではなくなってしまったのか、判断しあぐねている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。