2025.08.23

きのう『マンボ・ジャンボ』が届いていて、悩みつつ持ってこなかったのが悔やまれる。『黒人音楽史』は行きの電車で終わってしまいそうだった。それはともかく、machinationという語を初めて見た。機械machine名詞化-ationとしての陰謀。大規模言語モデルの台頭により、よりいっそう人間の知的営為は計算可能なものであるという「世界像の機械化」の極まりがまた再びやってきているように思えるし、そんななか「黙示録じみた陰謀論」が台頭しているのも確かだ。この一年、にわかに自分の加齢を実感するのだが、それは、かつて自分が生まれた九〇年代を、成熟した大人として再度やり直しているような感覚があるからなのではないか。二〇二〇年代を一九二〇年代と重ねる見方はずっとしてきたけれど、九〇年代の変奏としてみるのもまた面白い。じっさい、この数年というのは、社会を回す中心の世代に九〇年代生まれが参入してきたタイミングでもあるのだ。

さいきんはFワードの親類性が気になる。ファクトリー、ファクト、ファクター、フェイク、ファッション、フィギュール、フィクション。語源としては多少散っていそうなんだけれど、つくられたものという点でなんとなく共通するこれらの語彙群を精査したいような気持ち。つくりと騙り、その構成と装い。あいつの話his-storyとしての歴史historyではなく、おれの話my-storyとしての神秘mystery、というサン・ラの駄洒落。後藤はマニエリスムという語を、ホッケを参照しつつ、とにかく何でも繋げてしまう錬金術や魔術のような知的構成力と定義している。このような知性は、駄洒落にも通ずる。音が似ているからっていう一点突破で無理やり無関係な観念や具体物を指すシニフィアンを並列して繋げてしまう呪術的行為。あれとこれが似ているという中世的アナロジーで騙りをどこまでも誇張していく身振りは、たいへん愉快で好きだ。博覧強記の大法螺吹きこそ理想のあり方かもしれない。ぜんぶ忘れちゃうので博覧強記にはなれないのだが。

平井にある空き地さんかくにシャーク鮫さんと行く。きょうは、Steenzという十代向けメディアの催しで、夏の茶話会がひらかれていた。午後から編集メンバーおすすめの中国茶をふるまっていたようで、こういう、お酒を介さないコミュニケーションの場というのはいいよなー、と思う。さめない社交も、いつか素面デーを設けたい、などと考えていたら主催の人たちは飲みすぎて茶酔いしていたので笑えた。ほんとうに十代もいて、シャーク鮫さんのひとまわり以上年長の友人もやってきて、三十数年の年齢差がある座組で、それでも好きな音楽の話ではなぜだか最年少と最年長とがいちばん通じ合う瞬間があったりして、すごいなあ、いいなあ、とうれしかった。夜になって茶話会はおひらきで、そのあと大人たちは缶チューハイなどを飲み始める。しばらくは誰も帰らず、いい感じのおしゃべりは続く。夜も更けて、シャーク鮫さんと先輩と三人で、コンビニでお酒やつまみを買い足して、平井駅前の広場でもうちょっと飲む。広場にはトイレもあって、とてもよかった。外で飲むのが気持ちがいい季節になったな。こういうことをしていると、やはりスズキナオさんに会いたくなる。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。