2025.08.25

引き続き寝込む。朝には恢復していて家事もできると思っていたのに、けっきょく奥さんに頼り切り。きょうもルドンはひとしきり羽毛布団で遊んだあと、一階で過ごす。熱は下がらないがうまく眠れず、遅めの朝食を摂って眠る体力をつける。それでも眠れず、眠れないと日記やポッドキャストの停滞が気になる。賃労働に関しては病欠の一報さえ入れたらけろりと忘れるくせに、面白いものだった。とはいえ画面を見ていると気分が悪くなるので、布団でじっとしていた。昼はチキンラーメン。どうにもジャンクな気分らしく、ほんとうはマクドナルドのポテトとかが食べたい。しかし外に出るわけにもいかず、この暑さのなか歩いたらすぐだめになってしまうだろう。また寝る。猫のダイエットのために夕食は人力であげるようになっているので、十九時前には起き出して給餌。ルドンは十分かけて元気に完食。そのあとうんちもしっかりする。昨日は一日便秘気味だったヒトも、きょうは冷凍おこわと明太子とソーセージと冷奴を食べてそこそこ恢復。本を読むのはしんどく、配信で何かを見るのも決断ができず、てきとうにテレビをつけるとちょうどよかった。NHKでやっていた怖い絵本のアニメを見て、アニメはともかく実写パートは蛇足も蛇足だな、などと眺めたあと、そうだと思い立ち録画したまま四年も放置していた九五年の『映像の世紀』を再生する。最古の商業映画『工場の出口』が一八九五年で、そこから百年の節目に制作された『映像の世紀』からさらに三十年。映画の歴史は一三〇年であり、これは、いまでも一個人がどうにか概観しうるかのような錯覚を持ち得るぎりぎりのところだろうか。自分らの先行世代にとって、映像の歴史は一世紀にも満たなかったわけで、そのころであれば全てを語りうるような気概もまた荒唐無稽とは言い難かったはずだ。映像の「かつてそこにかつてあった」ことの喚起力は凄まじい。画角こそ時代によって変われども、フレーミングの感性や方法論は黎明期からすでにほとんど完成しているようなのも面白いというか、なんなら百年前のほうがずっと洗練されているようでさえある。途中で集中力が切れて、二本目の途中で一時停止して一昨日からの日記を書く。

ルドンのお腹のはげがまたひどくなった気がする。舐め壊すのを止めようと手を出すとちょっと爪が出た前脚でがしっと掴まれべろべろ舐め回される。お腹だけでなく、左の後ろ足の付け根から腰にかけての部分にも瘡蓋があったり、右耳の前の部分も掻き壊しがあったり、肌がとても荒れていて、ごめんよ、もっとヒトは掃除をこまめにするからね、とめそめそしかけたが、いくら体調が悪くて気持ちが弱っているからって、自らの至らなさをヒロイックな酔いしれの燃料にするのはふつうに醜悪なのでじっさいはめそめそしないようにして、罪滅ぼしに猫とたくさん遊んだ。病人が占拠していた書斎をルドンは縦横無尽に駆け回り、跳びあがり、皮膚の様子を気にする人間を蹴飛ばし、噛みつき、それでも体重だけは測られ、また少し太っていた。どうすればいいんだろう。猫の保育者として、僕はあまりにも無力なのではないかという罪悪感と戸惑いがずっと拭いされないし、きれいさっぱり解放される日は来ないだろうとも思う。夜は奥さんがアイスを買ってきてくれて、食べる。ずいぶんと体力が落ちているのを感じるが、明日はどうなるだろうか。アイスを食べながら、日記を書いたよと報告すると、柿内より先に(本名)に帰ってきて欲しいんだけど、と苦い顔をされる。この日記を書いているのは柿内であり、(本名)ではない。それでは、柿内とはなんだ? お前は一体誰なのだ。僕の最愛の奥さんに、(本名)を返してあげて欲しい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。