2025.09.17

繰り返し首を縦に振ることというテーゼについて、ブランショが召喚されてマイクする。ラップについて考えることはいつしか読書論と韻を踏む。

「entretien」とは、相手が言ったことに何も付け加えず、ろくに展開もさせず、ほとんどそのまま繰り返すような対話のことだ。それは単なる反復にすぎない。〈言葉は何も変わっていないにもかかわらず、そこから彼は「無限に学んでさえいた」〉。ループするビートのように、受け取ったものを「諾」と頷き、そのまま繰り返すことが必然的に抱え込む微細な差異がうねりを生む。

ブランショのこの「諾」は、「一方でも他方でもなく、なく、なく」という〈どっちつかずの往復運動〉の継続によってつくられるリズムが確保するものだ。友/敵、是/非などの二者択一を迫られるように感じさせる技法が日常の言語実践にかんたんに入り込んでくる状況下で必要なのは、「どっちもどっち」とスカして安心するのではなく、「どちらでもない」という態度で議論の展開を中断させることなのではないか。そもそも二者択一しかないように見せかけてくるのはセールスの典型的な手口で、その選択自体が問題外であることの方が多い。

人とのコミュニケーションは、「あれかこれか」ではなく「ああでもないこうでもない」で成り立っている。決定を先延ばしにして、無限に「これではない」を積み重ねることで、なあなあに曖昧な領域を確保していく。そうやって居心地をつくる。「違い」を取り上げて、自らにとって「同じ」ものとは何かを知り、「違う」ものを「同じ」ものとぶつけることで両者を適合・還元させてより広範な「同じ」へと至るというようなヘーゲル弁証法の規定からどう逃れうるか。「違い」を不可触のものとして絶対化してしまうと、「違う」他者と関係できない。「同じ」を志向するのでもなく、「違い」を絶対化するのでもなく、「同じじゃないけどなんか似てるよね」という方途でなんとなく一緒にいること。これは、生身の人間同士が社交場で対面するような時には案外簡単なことで、黙っていればいいのだが、テキストを前提とした言葉を交わし始めると難しい。テキストコミュニケーションで「なんとなく」をやるのは、かなり高度な技術が要請されてしまう。どうしたって「同じ」か「違う」かの二項対立にパキッと分かれ、極端なポジションに偏りやすく、あいだの曖昧な領域でふわっと「一緒にいる」のが難しい。いかに冗長に散漫に書くかという文章術こそ、開発するべきなのかもしれないなーなどと考えていた。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。