『日本語ラップ 繰り返し首を縦に振ること』の次は、『ヒップホップ・レザレクション』。ギャングスタ・ラップに宿る霊性を探る本書の問題設定は、『日本語ラップ』で検討された前衛と通俗の緊張関係とも通じる気がする。コーンの自叙伝も併読を続けてる。
中村は、宇多丸の批評を引用しながら、「俺は、こうだ」という強烈な一人称の表出が、聴取者に「で、てめえはどうなんだ?」と応答を呼びかける声として響くといった。つまり、当事者性の表出が、「違い」を際立たせ、非当事者との交通可能性を閉ざすのではなく、むしろ「違い」を無効化することなく、「てめえ」として一人称を引き受けて立つ「同じ」土俵を制作するものとしての可能性を見ている。
ナショナリズムを嫌悪する一介の日本人として、アフリカ系アメリカ人の思想史や文化史を日本語文献で追いかけるという営為は、幾重にも隔たりを抱えている。かれらとの「違い」を痛感するばかりであるが、リクールの読書観を参照してみるならば、かれらの「状況」にいっとき滞在するように読むことはできる。安易に自らに引きつけず、かれらの歴史として、かれらの「状況」における行動の必然性を共に感受するという読書の身振りは、かれらの「俺は、こうだ」をそのまま受け入れる営為である。そのようにかれらの声を「了解」することは、声を聴取する自らのスタンスへの意識もまた研ぎ澄ませ、いつしか自己了解に至るだろう。読者は、かれらの声を自分の声として簒奪することはできない。ただごろっと引用するほかない。そのように引用された声は、文脈から離れて独自の響きをもつ。その響きと韻を踏むようにして、ようやく読者は自らの一人称を練り上げることができる。おれの声はこうだ。それで、君の声はどこにあるんだ?
ひとはどうしても、文字列に声を聴取する。そしてそれを、それを書いた誰かの声として認識する。そのうえで、多くの場合はその声が自分に向けられたものだと勘違いしたりもするのだが、正しく相手の声として受け取ったとしても、けっきょくは触発されて、自分の話を開始してしまう。それでいい。できることなら、お前の話なんかしてねえよということが明白であるような強い一人称で書きたいし、相手の話を相手の話として聞いたうえで、それとは関係なしに、でもその話を聞かなければしなかったであろう自分の話を開始するようにして本を読んでいきたい。読み書きとは、一人称を鍛え上げる営為である。
この日記はある時期から一人称の使用をなるべく避けていることにお気づきだろうか。なんとなく、日記というあからさまに一人称の文章表現において、わざわざ代名詞をもちこむ意義がわからなくなっていたという程度のことなのだけれど、いまこそ、あらためて一人称を鍛え上げなければならないのかもしれない。
後述するが、公民権運動以降の黒人教会の多くは、差別是正措置によって経済的に豊かになり社会的地位が向上した信徒の増加に伴って、保守的な価値観を形成するようになった。経済的に成功した階層を抱える数会にとって、急進的な社会運動に関わることは教会員を失うことを意味したからである。また、中産階層化したアフリカ系アメリカ人にとって、信仰は私的な領域に関するものとなっていった。黒人教会にとって経済格差といった社会問題はいまだに重要な課題であり、各教派や諸教会はそれらの課題に対して全国レベル、地域レベルで取り組んできた。しかし、黒人教会や牧師のリーダーシップが低下したことで、それらの問題に対する有効な打開策を示せないでいる。また、教会員が中産階層化したことで教会は財政的に裕福になり、牧師たちのなかには中産階層のステータスに安住するあまり社会問題への関心を示さず、天国における数いのみを重視する傾向も見られる。その一方で、教会はヒップホップへの厳しい批判を行ってきた。公民権運動から継承された使命感や中産階層的な価値観に立つ教会にとって、インナーシティの厳しい現実が露骨に表現されるヒップホップはアフリカ系アメリカ人社会の向上を妨害するものと映ったのである。
山下壮起『ヒップホップ・レザレクション』(新教出版社)p.30
公民権運動のあとの、アフリカ系アメリカ人内での経済格差の発生と、中産階層化したものたちの保守化が、若者に対する教会の求心力の低下の一因であると指摘する箇所を読んで、いまなぜ黒人文化への関心を燃やしているのか、理由がほんのりと見えてきた。大きな「同じ」の括りのもとに共同体を形成することはもうできない。「違い」の細分化は止まらないだろう。それでもなお、弱い立場に連帯を示すことはいかにして可能か?
要は、〈経済的に豊かになり社会的地位が向上〉して〈中産階層化したことで〉〈中産階層のステータスに安住するあまり社会問題への関心を示さず、天国における数いのみを重視する〉ような〈保守的な価値観を形成するようにな〉りがちな自身の性向といかに付き合うか、ということをずっと考えているのだ。
