寝坊。むしろ寝坊しかしていないのだから早起きが例外状態で、寝坊ではないのかもしれない。ゴミ出しの勢いを利用して、起床五分で家を出る。けさは明け方にルドンが布団の中に潜り込んできてくれて嬉しかったが、いつの間にか奥さんの腕の中に収まっていた。寝室で眠るようになってから、夏場はあんなに僕の脛の上をベッドにしていたルドンが奥さんの胸の上に落ち着いてしまってすこしさみしい。そのぶんぐっすり眠れるし、猫に圧迫された奥さんはかなり寝苦しそうではある。
ベルサーニ『親密性』を読み始める。朱のローティ本もそうだけれど、読み書きとおしゃべりを関連させて考えていくには読んでおかないといけないよなあという気持ち。とにかく、どこにも居心地のよさを感じないままそれでも居ることができるという感覚をどうにか表したいのだと思う。ベルサーニは僕は村山『(見えない)欲望へ向けて』経由のベルサーニであり、それはつまり社会への包摂からも、アイデンティティへの自閉的な特権視からも距離を置く、徹底した孤立の態度であるようだった。学校が嫌いで、かといって内外のどのような仲良しグループにも深く属したくないという、子供時代以来変わらない己の性癖を無理なく読み書くためのヒントがあるような予感がある。
夜は両国に寄ってシャーク鮫さんに「おいしいビリヤニ」に連れてってもらう。名前の通りのお店だった。けっこう量が多く、熱々なので食べるのが遅い。せっかくなので森下まで歩いてsabo beer bar & bookstore の下見がてら一杯飲むことに。両国も森下も菊川もそれぞれにいい感じの飲食店が充実していて、落ち着いているのに人通りは多くてたいへんいい感じだ。昼間しか歩いたことのない街を夜に歩くと雰囲気がぜんぜん違うので面白い。夜の方がずっと感じがよかった。今晩は間借り営業でハンバーガーの日とのことでオーナーは不在だったけれど、レジ横に丹渡さんの本が置いてあった。ビールを飲みながらビリヤニを食べながらしていた話を続ける。物知りが皆なにか書くわけではないという当然のことを思う。というか、語ることと書くこととでは知識の使い方がじつはまったく異なるのだ。どちらもできるようにするためには、倍の知識と技術が必要になったりするのだが、ものになるひとというのはじっさいそのくらいやっているのものだ。僕はまだまだ勉強が足りないな、とも思うし、僕が知らないことを知っているひとが知らないことを知っていればいいのだとわかってもいる。しかし、この空間でトークイベントをやるというのは席の配置をどうするんだろう。
