楽しみにしていた『男と女とチェーンソー』が出たので買って読み始める。すでに三十年以上前の本だし、再販版への序文でも言及されている通り「ファイナル・ガール」という概念の創始という以上の価値があるのかどうか。ちょっと読んだ時点でそんな心配はないというか、それだけでは汲み尽くせないところがきちんとある本だと思える。訳者が「映画パンフは宇宙だ!」名義で『ハッピー・デス・デイ』のパンフを自主制作していた方だった。そうなのか。こりゃいい企画だな。
(…)スラッシャー映画は洗練されておらず、過度な繰り返しのせいで冗長になっているのは承知のうえで、むしろだからこそ、かつてこのジャンルの観客層を形成していた人々の現代における性的態度をくっきりと浮かび上がらせる手段となる、という前提のもとで論を進める。そこで得られるイメージは、優れたスタジオが製作した正統派の映画から受けるものよりも明確だ。
キャロル・J・クローヴァー『男と女とチェーンソー』小島朋美訳(晶文社)
文化的オムニボアやポプティミズムが極まる現在だと、このスラッシャー映画の卑下はあまり正当性を感じないかも知れないけれど、下手物のほうから考えるという気分を受けてKindle Unlimitedに入っていた『ぬきたし 抜きゲーみたいな島に住んでるわたしはどうすりゃいいですか?』を読む。条例でドスケベセックスの常習が義務付けられた抜きゲーみたいな島で、愛のないセックスに抗い童貞処女を守りつつ条例改正のために暗躍する運動家たちの活躍が描かれる。台詞の八割は下品で、アクションも恋愛も主に下半身だけで繰り広げられるしょうもなさ。しかし謎に漫画が上手く、王道のラブコメや少年漫画を読み終えた時と同じ爽やかさが残る。性行為は体なのか心なのか勝負なのか愛なのか。セックス版の『鉄鍋のジャン!』。変だった。でもこの面白さとホラー映画の好きさはかなり似ている。ポロリするのがおっぱいか内臓かのちがいで、それはあまり大差がないともいえる。ホラー映画の場合は両方出ることも多い。
ふたりとも食欲がうまくいかず、昼食が十六時で夕食が二十三時だった。こういう日もある。しかしお腹の調子があまりよくないな。
