昨晩二階のトイレを見てもらって、昨年と同じように外の配管で詰まってるとわかる。まぁあんま考えにくいっすけどね、と言いながら排水枡をのぞいたらぎっちぎちに詰まっており、まじか、と零しており可笑しかった。笑い事ではない。高圧洗浄するしかないけど、音がすごいから明日になりますね、と言われた明日が今日で、労働を在宅に切り替えて対応できるように待ち構えていた。午後になって昨日と同じ業者の青年がやってきて、昨日の時点でほかの枡もかなり老朽化が進んでいるから交換したほうがいいといわれていたが、ひとまず今日は洗浄のみで、残りの詳細な点検と見積もりは後日とのことだった。洗浄の費用も高いなあと思っていたけれど、都合二時間くらいのけっこうな作業で、じゃあしょうがないねと思う。ひとまず急場は凌げたが、対症療法ではあるし、もろもろやってしまったほうがいいのだろう。とはいえ大掛かりな作業になるだろうから、相見積もりをとるべきだった。とりあえずリノベをお願いした設計士に相談のLINEを送る。いまでもすぐに返事をくださるので心強い。一階の壁も地震や寒暖差ですでに罅割れができており、家を維持するというのはたいへんなことだな、と途方もない気持ちになる。
夕方十八時前にシャーク鮫くんがLINEで谷川嘉浩さんが「SOMEOFTHEM」で喋った記事に反応しているツイートを送ってきてくれる。無礼や雑さを指摘するものなのだけれど、そもそも谷川さんの話はしてないんだけどな、〈礼節をわきまえている〉とされる時代の気分を名指した人にしては、いささか読解が雑だし物言いが失礼だなと反射的に思いつつ、でも、もっと雑で無礼な言葉をたくさんぶつけられてきてうんざりしているんだろうなというのは想像がつく。一時間くらいかけてお返事を書く。なるべく社交的に、礼節を重んじて書いたけれど、おそらく応答はないんだろうな、と徒労感をすでに感じる。むしろなぜこんな零細記事をあげつらったのだろう。僕がそこそこ名の売れた文筆家だと錯覚したのかしら。だとしたら応答してくれるかもしれない。とにかくわきまえない木っ端の相手はしないという人だと感じているが、なにがしかの権威を認めればなにかしら返してくれるかもしれない。
こう考えてきたらやっぱり腹が立ってきたので、失礼で意地悪だ!と一国の首相のようにぷりぷり怒ってみた。このような幼稚な振る舞いできちんとわきまえてもらえる人たちというのもいるわけだ。まあ、怒っておくとすっきりするので、家の中で勝手にやっている分にはいい。だから以下は書かないほうがいいことだ。
知というものの権威を復権させるために表面上押しつけがましくなくへりくだっているように振る舞いながら、なるべく多くの人を「啓蒙」しようという知的な人たちの権威主義については好ましく思っているほうだ。知は権威であった方がいい。〈礼節をわきまえる〉というのが、内心偉いとは思っているけど偉ぶらないという戦術の謂であるぶんにはいいだろう。けれども、そこで採用される礼節というものが結局「俺の話をありがたく黙って聞け」という抑圧の方便として機能する形で使用されるのであれば、馬脚を現しちゃったなあ、と思いはする。戦略的に礼儀正しく振る舞うというのは、「啓蒙」したいという意志を持つ発信側がもつべきものであって、勝手に「啓蒙」される側に置かれた受け手にとっては知ったことではないだろう。そもそも受け手は自分たちの生活に忙しいし、そんなに他人の話に興味がない、すくなくとも発信側が受け手それぞれの生活なんか知ったことではないのと同程度には。だから、受け手の反応が厳密性に欠けていたり不十分だったり陳腐だったりするのは仕方がないだろう。そこまで真剣に読んだり聞いてくれる人なんかいないのだ。受け手は常に雑で、不完全なのものである。そのような人らに向けてどう知をひらいていけるか、という試行錯誤を僕は原則として支持するが、受け手の雑さや失礼さを許容できない態度は危ういなと思うし、そのような専制や占有への意思がどれだけ知的営為の足もとを掬ってきただろうかと思う。「俺のあれも読んでいないくせに批判するのか」というのは、〈「知らないの?」「教養がないから読まないと!」と不安をあお〉ることと何が違うのか。〈「お前こんなことも知らないのか」「浅いな」などと教養の有無を一方的に判定〉することとは? 「令和人文主義」という造語は、〈競争やマウント、安易な判断に抵抗するもの〉ではなかったでしょうか1。
僕も〈地元のヤンキー文化の中で育った文化系なので、「舐められたらあかん」みたいな規範を結構内面化している〉かもしれませんが、〈論争とケンカは本質的に区別がつかない〉Twitter跡地みたいな場所では〈それをおさえてい〉る。前の段落は〈批判や議論〉にひらかれているつもりだけれど、〈不用意〉で〈礼節をわきまえ〉ていないと感じられてしまうかもしれないね2。ただ日々楽しく(たまには雑に)読んで楽しく書く(ときおり失礼に)だけの日記を書いて公にすることは、僕が重視している自由の行使のひとつだから、それを抑圧するものはぜんぶ拒否していきたい。言いたいこと言ったのでおしまい!
- 「令和人文主義」を語り合う 自由を希求する教養と人文知のこれから https://digital.asahi.com/articles/ASTDS1401TDSULLI010M.html ↩︎
- なぜ「令和人文主義」者たちを名指したのか?哲学者・谷川嘉浩が目指す「届ける」ための語り口 https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/tanigawa_sato/32989 ↩︎
