2026.03.17

この数日『「いまどきの若者」の150年史』と『ゲンロンy』を併読することで、すごく「いまどき」な気分になった。フェリーに乗って四国に行きたい。船上でレモンののったうどん食べてみたい。植田将暉「瀬戸内海に権利はあるか」がいちばんよかった。知力を蕩尽してふざけ倒している。笑わせにかかってくる批評は好きだし、「おもしろくなければ批評じゃない」というような雑誌の態度を体現しているようだった。

今週末の新潟に向けて『資本主義を半分捨てる』を読む。青木さんの自身の活動の来し方はそれこそ『彼岸の図書館』からずっと繰り返されているわけだけれど、研究からポッドキャストそして図書館へという変遷がとうとう安定したナラティブにまとまった一冊だった。やや本書からは脱線気味の感想なのだけれど、自らの市場価値を高めるというのはマルクス流にいえば交換価値を高めるということであり、つまりは交換可能性を上げるということだ。唯一無二の換えが効かない存在になるぞと張り切って労働したところで、むしろ容易に交換可能な「代わりなんていくらでもいる」存在になっていってしまうというジレンマがある。流通しやすい「私」の規律訓練と、市場価値に馴染まない〈私〉を制作し鍛練するのとを、両方もってそのあいだで塩梅を探ること。それが青木さんのいうちょうどよさの調整なのだろう。

さて、「渋谷らくご 吉笑三題噺2026 day2」。今日は春風亭朝枝が「のめる」、橘家文蔵が「ちはやふる」とたぶん古典をやってくれて満足。やはり初心者としては古典の方が嬉しい。創作は、どうしても演劇でいいじゃんと感じてしまう。朝枝も文蔵もマクラはぼそぼそと声が小さく、マイクの設定間違ったんじゃないかと思うのだけれど、落語になるとわっと声が通るので、ここから始まるんだ!という切り替えが楽しい。とくに文蔵は「組長」と呼ばれるような強面でかなり不機嫌そうで怖いところから、ものすごくばかばかしい噺をやるのがいい。やはり芸事は悪そうなやつのやるものがいい。コントロールされた暴力というか、抑制された大きな力の色気がある。プロレスラーの好みも同じですね。瀧川鯉八は声は聞きやすいが独特の世界観の創作で独特だった。立川吉笑のお題は「渋谷の外国人観光客」、「大学病院」、「寛ぐ」で、これは面白くなりようがないなと思っていたし、じっさい始まってみるとかなり厳しそうで、あちゃーと思っていたら、そのだめそうな感じはあえての演技で、ネタが進行するにつれて冒頭のダメそうな様子へと円環をなす展開で、うおーと感心した。二日通しで見てよかった。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。