2026.04.01

早起きは前日が苦手で、当日はあんがいすんなりいくものだとわかってきた。前日は、丸一日が翌日の早起きのために体力を温存せねばというような形で手段化されてしまい、台無しになるという感覚が強い。そこまでびびっておいて起床時はあっさり起きる。だったら昨日も楽しめばよかったのに。

十代から二十代にかけて現代思想を好んで読み続け、就労を挟んで直面したのは、まさに学生時代は心躍らせた生成というものが、《構築のないところで(…)唱えることには大して意味はない》ものであるという挫折感だった。そもそも日本には会社しかなく、国家も社会もないとまで言えるかはともかく、《あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる》のはたしかだし、実はこれは洋の東西を問わずそうなのではないかというのは近年のイスラエルやアメリカの無軌道ぶりを見せつけられていると思うところだ。そもそも構築こそが見果てぬ夢で、人間なんてほっといたら生成しかないんじゃないか、まじかよ、もっとしっかりしててくれよ、そうじゃないとぼくがしっかりしなくちゃいけなくなるじゃないかという幻滅が、昨年からカントを読もうという思いが去来している原因なのだと思う。僕はポストモダンの愛好のためにも、モダニストにならねばならない。

新年度というものも早起きと同じだ。来るまでが不安で、渦中にいればあっけない。あらゆる変化は時間がかかり、時間をかけているうちに当人が慣れて順応してしまうから気がつきにくいものだが、いつのまにかだいぶ最悪な状況になっているというのはありえる。ぼんやり生きていてはいけない。でも、ぼんやりするのがだいぶ好き。シャキッとさせないで欲しい。シャキッとしなきゃと思うような状況は、もうすでにかなり最低。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。