2026.04.09

午前中から身支度をして街に出る。本はもちろんポメラをリュックに放り込んだ。移動中に取り出す機会があるのかどうか疑問だったけれど、持って行かなければそもそも可能性もない。おろそかになりがちな日記を活性化するために与えてあげられる刺激はなるべく与えてあげたい。日記は筋肉のようなもので育てている間はかわいいし、放っておくと萎びてゆく。帰りの電車でこうして書き出しているのだから持ってきた甲斐があったというか、そこそこの重量なので使わないと勿体ないという気持ちで今度の本の草稿をメモ書き程度に書き進め、行き詰まって日記に移行してきたわけだけれど、やはり道具を替えると使うのが楽しく、無意味にたくさん書きたくなるのでいい。ひとりの休日にわざわざ県境を越えるのが日に日に億劫になりがちだから予約というのは助かる。髪を切ってもらうことになっていた。

移動中、手前の予約が押しそうなので時間を三十分後ろ倒しにしてもよいかと連絡があったので、それならと思い切って一時間遅らせてもらって先に原宿で靴を見繕う。コンバースのスクエアトゥがかわいくて現物を履いてみたかった。ちょうどいいサイズが残っていたのでうきうき購入。それから古着を二軒ほどひやかして、変なシャツをたくさん試着する。おおげさな柄シャツであればあるほど似合うのかもしれない。今年の夏も暑そうで。それならTシャツしか着たくなくなる気がしているから、けっきょくシャツはいつ着るのかわからず決めきれないまま季節が進む。

中目黒に移動して散髪。川沿いはもう葉桜で、でも出店はちらほら見かける。うまいらしい鮎の塩焼きは見つけられず、それを探している間にビルの前を三往復していた。美容師としてではなく知り合った人に髪をやってもらうというのはくすぐったく、謎に緊張してしまった。眼鏡を外すと何もかもが滲んで輪郭を失うので、散髪中はついつい眉間に皺が寄り人相が悪くなりがちであるし、ふだんそこまで人の顔をまじまじ見て話すわけでもないのに、顔が見えないとうまく話せないところがある。そもそもなんとなくよさげなバイブスを感じてこの人に切ってもらおうと思ったものの、まだ距離感もつかめていない間柄で、むしろまっさらな他人よりも踏み込みが難しい。そもそも僕はふだん美容室では嘘八百のプロフィールをでっちあげて遊んでいるから、素性が知られているというのも落ち着かない。けれども、ふだんの自分の振る舞いをなんとなく知っている人に見せ方を方向付けてもらいたいという好奇心からここに来ているわけだから、ここで堅くなるのも変だ。しかしこれでいまいちだったらどう反応すればいいんだろうと不安ももたげてくる。丁寧な仕上げのあと眼鏡をかけて仕上がりを見る。うれしい感じにかわいくて嬉しい。先ほどまで不安がっていたくせに安堵とかもなくただわーいという感じ。店を出て渋谷のほうへとちんたら歩き出す。歩きながら風に吹かれているうちにどんどん嬉しさが増してくる。かなりいい感じな気がする。

渋谷に着くころ連絡があって、退勤して次の予定まで時間があるからと合流させてもらうことに。待っている時間に気になっていた服を見て、半ズボンを買う。カフェでお茶しながらぽつぽつおしゃべり。なんか謎に緊張しちゃいましたねと話す。他愛もない話をしながら、場を盛り上げるとか考えもしないでここまでやって来たなあと思う。平気で沈黙の時間をつくったりするのも、ともすれば緊張感の原因かもしれない。でも仲良くなるって、平気で黙っていられることではないだろうか。しかしいきなり黙られても怖いだろうとも思う。日記やマイクの前では多弁なくせに、そうじゃない状況ではだいたい、ふう、へえ、ほお、と吐息のようなものしか出していない気がする。人からの印象にも頓着しないで済ませているし、そりゃだんだん加齢と共に緊張感も醸し出しますわ、もっとへらへらちゃらちゃらしたほうがいいとも思うのだけれど、加齢と共にもとからない元気がもっとなくなっているから、静かにふう、へえ、ほおだ。祖父が新聞記事などで気になる人がいたらすぐさま会いに行ってしまい、そのくせ口下手だから、運よく応接されたとしてもニコニコ黙っているだけだったというような挿話を思い出していた。僕はもうだいぶそれだ。会いに来られる側としては怖すぎるが、祖父の気分がかなりの程度わかる気がする。なんか会いたいだけで、会えたら嬉しく、何か話したいことがあるとかではないのだ。

奥渋経由で代々木公園のほうまで出て、のんびり帰る。書きものをして、日記を始める。今回の髪型について奥さんはなんていうかな。

帰宅して顔を見せると、第一声は、なんかあんまり変わってないね、だった。けれどもそこから、いや、たしかにディテールがちがうね。あ、じわじわ可愛い気がしてきた。かわいい。という具合にじわじわ好評。後頭部やつむじ周りを手で漉きながら細かく見てくうちに、いつもわけわからんくなってる毛流れが綺麗になってる、これまでかかってた美容院のどこよりも上手かも、と誉めそやし、遂には私もかわいくしてもらいたい、にまで至った。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。