昨日の日記を読んだ奥さんはこれまでに失くなった思い出の場所を数え上げ、私たちの気に入った場所は全て失くなっていく、最終的には世界が滅ぶ、と言っていて、極端だった。
午前中は文フリで頒布する冊子の制作。もともとはフリーペーパのつもりだったけれど、紙を折ってホチキス留めしてとそこそこの原価もかかったので値付けすることにした。黙々と手を動かしたりコンビニに印刷に行ったりするのはやはり楽しくて、完成するとできた、と思う。紙を折り、切る。折る。留める。作業のお供は『インヒアレント・ヴァイス』。ピンチョンは読んだことはないが観たことはある。PTA の映画はどれも最高で、いちばん観ているのは『マグノリア』な気もするが二度目はこれかもしれない。『ジョーカー』よりも僕はこのホアキンが好き。他のキャストも豪華で、みんなの顔を見ているだけでいい映画だなあと感じ入る。これはどのくらいピンチョンなんだろうか。これがピンチョンなら僕はピンチョン好きだと思う。
作業終え、完成品の写真を撮ってツイート。なんとなく『ジョン・ウィック』の三作目を観る。二作目の終わりが格好良かったことだけ覚えていた。もう四作目はいいやという気持ち。
『〈聖なる〉医療 フランスにおける病院のライシテ』を読み終え。とてもいい本だった。『健康禍』は途中のフェミニズムへの言及がお粗末で萎えて読むのをやめてしまったけれど、フランスの医療への距離の取り方が非常にバランスの取れたこちらは読んでいて今後の読書に広がりそうなトピックに満ちていて、やはり極端なディスよりもこういうグラデーションの中で思考するような本の方が僕はいい。フランス革命によって為された宗教のラディカルな否定は、教会(宗教)から学校と病院(教育と医療)へという近代を基礎付ける移行の実現をもラディカルに成立させたが、だからこそ世俗の持つ宗教性というものを問い直す契機も失われてしまったのだという第一部の議論を特に面白く読んだ。宗教が無効化されたあとも、宗教性は医療の中に移行して残っていた。現在の医療の危機は、この宗教性の喪失あるいは弱体化に原因があるのだというような論。第二部の、生産性重視の人間修理工場としての医療と、個別の個人に寄り添う全人的なケアとしての医療とを、単純に線的な価値観の変遷に置いて比較するのでなく、現在に至っても両者は混濁し共存してあるという視点からの整理も冷静でいい。いやあ、いい本だったなあと思って補論まで進むとこの第一部の執筆者であるジャン・ボベロの補論がまたとてもよくて、これはまた折に触れて読み返したい。