2021.07.07(2-p.150)

ベケット『プルースト』と保坂和志『試行錯誤に漂う』を持って家を出る。だいたいベケットを読んでいた。文意が取れないまま数段落進んで、まったく訳がわからないことに気がついて戻って読むのを繰り返すと何となくわかってくるような読み方で、それはプルーストの風景に近い読み方であることを思い出したりしていた。固有名詞ひとつでこんなにも思い出せることがあるのか、と驚きながら読んでいた。

最後に美容院に行ったは半年以上前のことだったんじゃないだろうか。ON READING での青木さんとのおしゃべりの前に気合を入れるために髪をきれいにしてもらったのが最後だからあれは年末のことだ。それからは家で奥さんに整えてもらったり自分でバリカンを当てたりしている。だいぶ上手くなった。特に奥さんの前髪の整え方は絶品で、きょうも褒めてもらえた。それでもプロの手で頭部の形に沿って髪の毛を取ると想定してたよりも束の量が少なかったり多かったりするらしい。しっかり整えてもらえて気持ちがいい。それから下北沢に出て、ボーナストラックにはTENT のお店ができていてワクワクしながら入る。SLIT の補充が目的だったけれど、トートとリュックの変幻自在バッグにテンションが上がってそれも買う。HINGE のPRO も見ると欲しくなってしまったので買う。楽しい。それから月日を覗いてアイスカフェラテを買ってそとのテーブルで飲みながらさっそく新しいHINGE でノートを作る。ベケットのプルースト、ドゥルーズのプルースト、なによりも僕のプルースト。手を動かしているとだんだん楽しくなってくる。やはり手で書くのとキーボードとでは書くときに動く部分や動かす対象の質が何か違うようで、より声に近い感じというか、いったんこの体を通す分だけの負荷が言葉にかかる感じがある。そのぶん図とか矢印は奔放に書ける。タープ越しにもひりつくくらい陽が出てきたようですこし汗ばむ。ノート作りはこのあたりで、ということにしてフヅクエに移動。ベケットの続き。難しい話は酔っ払って読むに限るとビールをお願いする。そうすると90分制ですが、と言われて、あ、そっか、じゃあ一回それで、と応える。90分でがっつり読んで、ベケットを終える。なんだかんだ最後は何じゃこれ面白いなあ! と思いながら読んでいた。するとすぐに90分とのお声がけをいただき、言われた通り一度会計を済ませてすぐ戻るつもりが店番の人が変わっていたのもあってこれでまたすぐ戻るという動きが歓迎されるものなのかすこしわからなくなったのと、そういう表面的なごまかしの仕草をとることに何だか馬鹿らしいような気持ちにもなって、ふらふらと歩き出すと冬場であれば富士山も見える世田谷代田駅のある坂の上にまで辿り着いた。そのまま特に歩道もない坂の右側を歩いて小学校だか中学校だかの校庭は鉄骨の足場が組まれ何やら作業中。砂の上に一体何の足場が必要だというのだろう。なんとなく下りきってしまったのでそのまま羽根木公園に入って行って、この辺りに住んでいた頃は図書館の脇の道から入るのが好きだったが、きょうは坂を下って一番近くの、プレイパークに至る坂道のほうから入って行って、緑の多さに目が喜んだ。低木と樹とで陽の当たり方も影の作り方も違うから一口に緑と言っても何種類もある。こういうのをいちいち文字で表そうとするとその面倒くささというかほとんど不可能なことに改めて感じ入る。そのままバスケットのコート、野球場、体操器具のあるスペース、テニスコートとぐるりを歩いて、いく種類もの梅の植わったところを眺めることのできるテーブルに腰掛けてノートの仕上げにかかる。蚊が多くて辟易としたが、蚊が久しぶりですこし面白かった。僕の血は美味しくないらしく人といるとその人だけが蚊に噛まれる。今日は僕が一人なので、あるいはすこしは血が美味しくなったのだろうか。この公園には人間がたくさんいる。梅の木の間の道からくだって梅ヶ丘駅から電車に乗って最寄駅まで帰る。駅前の喫茶店でしばらく『試行錯誤に漂う』。

家に帰って夕飯を食べようとすると緊張で喉を通らない。緊張してる! と話し出すといよいよ緊張して、食事中浮かれたようにべらべら喋ることで緊張をなんとか外在化し、調整しようと試みたが、こういうのはたぶんどうしたって膨れ上がっていくものなので、今日のところはとことんまで怖がったり不安がったりしたほうがいい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。