2021.08.21(2-p.150)

昨晩の宿はシングルベッドが二つ、三センチくらいしか高さのない台座に分厚いマットレスが載っかっている形で、マットレスの長さも180センチあるかないか。僕らはここでエーステの劇中劇「真夜中の住人」の低くて窮屈なベッドを想起するのだが、これは伝わらなくて大丈夫。問題なのはベッドの間に六〇センチほど空いていて、そこには頭の側に簡単な棚が置いてある。二人は出先で寝具が離れてると寝れない、というジンクスがあり、押し入れに入っていた布団を部屋の隅にわざわざ並べて敷いて寝た。おかげでおおむね熟睡できた。朝は九時前に起き出して、朝食のサンドイッチをぱくつきながら今日の計画を練る。

午前中に軽く山登っちゃおう、ということで、食べ終えるとフロントに荷物を預けて高尾山へ。わりあい人はいた。行きはリフト、帰りはケーブルカーとして、半分くらいはこれに頼る。リフトは乗る時かなり緊張する。ベルトコンベヤーの上でうまくタイミングを取れるだろうかという恐れ。特に奥さんはヒイイと声を上げた。ぶじ座る体勢を取れたとしてもベルトもなしの心許なさで、慣れるまではすこし怖い。だんだん飽きてきた頃に左手にカメラを構えたおじさんが待機している。記念写真は人感式とかではなく人力なのだ。すこしだけマスクを外してにこやかにポーズを決める。それからしばらくすると到着だった。ちょろい観光客なので、先程の写真を千円で買う。僕の笑顔が素敵だった。そこからもじゅうぶん歩くので毎回騙された気になる。小雨が傘をさすほどではない程度に降ったり止んだり。おかげで行きは涼しかった。山頂は混雑していて白ける。そもそも山頂はただの折り返し地点なので、さっさと折り返していく。帰りはおみくじを引く。今年はそういえば引いてなかった。子供たちが楽しそうに笑っていて、笑いが止まらなくて、その止まらなさに観ているこちらも笑ってしまう。吊り橋を見たかったがコースが厳しそうだったので断念。懐の広い山だ。僕らのようにてきとうな人も、ちゃんと登山らしい装備の人も、どちらもそれなりに楽しそうだった。

下山。参道横の599ミュージアムをひやかす。ここの標本を作っている人は標本が上手。奥さんがいつか見た下手くそな標本の話を聞く。

向かいのコーヒーショップのケーキが美味しかった。ハーブス並みの大ぶりで、満足。奥さんには少し多かったくらい。僕はここであまりの楽しさに感極まってしまった。そして人生を考えたりした。つまり、この後すぐにトリックアート美術館に行くか、奥さんが見つけた蕎麦屋に行くか、ということだ。ケーキのおかげで空腹はないが、万が一トリックアート美術館が面白かった場合、蕎麦屋のラストオーダーに間に合わないかもしれない。すこし歩くようだし、腹ごなしがてらちんたら歩いて先に蕎麦だ、と決まる。高架をくぐって、川を一つ越え、開いてるようには見えないが中から大音量で安い音楽がかかっている謎の喫茶店を越え、二つ目の川の手前で折れて、川沿いには妙に凝った小物で飾られたテーブルと椅子が並べられていて、これも謎だった。蕎麦と杜々というお店だった。先着で二組待っていて、しばらく待つようだった。ちょうどいいね、と庭で待たせてもらう。すぐそばで蝉が鳴き出すが姿を見つけられないので不思議なものだった。ようやく呼ばれる頃にはお腹も空いてきていて、天せいろとすだち蕎麦をお願いする。どちらもとびきり美味しかった。きょうの奥さんのお店の見つけ方は冴えていて、夕飯の八王子のピッツェリアもとても美味しかった。マンゴーと水茄子と生ハムとクリームチーズの合わせたの、カラメリゼした無花果と鴨の燻製、ピザは鰯とバジルとモッツァレラのトマトのやつ、塩豚とズッキーニとライムのチーズのやつ。

蕎麦のあとの道で、格好いいカマキリに出くわす。往来が多く、踏み潰されそうだ。奥さんが平気で摘んで、あ、安達祐実みたいな写真撮れるかなと思ったのだがさっさと脇の茂みに逃がしてやっていた。カマキリはそれでも不服そうにこちらを威嚇する。カマキリにとって親切心からの行為であれつまみ上げられるのは立派な脅威だ。

高尾山口駅前の温泉でゆっくり温まる。サウナもあって、交互浴を久しぶりにした。三セット目のサウナではヒロアカのアニメが始まっていて、何も知らない人たちが初めて見るヒロアカがこれなのちょっとつらいな、と思う。死柄木くんが厨二を拗らせたようなことを言ってるところ。水風呂に顔までかぶるように入って、露天スペースで休んでいるとふわーっと気持ちよくなる。ふと、髪の毛をほとんど坊主みたいに刈り上げて、顔周りをシンプルにした上でゴツくて変な眼鏡をかけたいな、と突然思いつく。

八王子に移動して、美味しいものを食べて、ローソンで宿で飲むお茶やお菓子やお酒を買って、レジ前にはFGOの色紙があったのでチェックすると全六種のうちネロちゃまだけがなくなっていて、八王子でもネロちゃまは一番人気なのだなと嬉しかった。余計なもの買わないで済んでホッとしたというのもある。今夜の宿にチェックイン。今日も早寝になりそう。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。