寝坊。さいきんは気がついたら一時を過ぎていて、夜ふかしの傾向にあった。午前中は『ヒップホップ・レザレクション』と『ブラック・マシン・ミュージック』をちゃんぽん。ディスコミュージックを聴いていた。
ディスコが音楽の主流産業に食い込んだとき、その快楽主義はきわめて個人的なものとして広まった。その自己中心的な欲望もまた、共同体を重視した、六〇年代のヒッピーやブラック・ミュージックが批判しなければならないものだった。トム・ウルフの七〇年代アメリカ文化エッセイ集「そしてみんな軽くなった」(一九八〇)によれば、七〇年代のアメリカには実体のない快楽主義が蔓延していたという。快楽主義と「わたしを見て!」といわんばかりのミーイズムの世界、ビジネス街では昼休みにサラリーマンがマリファナを回し飲みし、離婚、宗教、健康食品、超能力、UFO、ジョギングなどなどが流行し、「自分が舞台にのぼりたがるようになり、自分の行動、自分の人間関係、自分の悩み、自分の性格を分析しはじめた」のだ。ディスコ・ブームはこうした快楽主義にうってつけだった。
野田努『完全版 ブラック・マシン・ミュージック』(河出書房新社) 上巻p.24
現在の陰謀論、日記やエッセイ、筋トレなどは、ここでディスコ・ブームとして語られているものとずいぶん似ている。「私」の快楽主義。昨日の鯛出汁のあらを取り出し、箸で骨や鱗をちくちく除いていく。炊飯器へのセットは奥さんにお願いする。ディスコとヒップホップは同じDJカルチャーを根幹としており、その黎明期の発展はパラレルであり、連動していた。それが二〇〇一年時点では変容している。
しかし現在、ヒップホップとダンス・カルチャーとのあいだには七〇年代とはくらべものにならないくらいの距離がある。
それはディスコ快楽主義とヒップホップのリアリズムとのあいだに生じた溝である前に、ゲイとマチズモのあいだの溝でもある。 フランキー・ナックルズはいみじくも言う。「ディスコはゲイや黒人などマイノリティ・グループの未来だった。ハウスがゲイから生まれたことは彼らをタフにしたけれど、このことは音楽以上に意味のある出来事だった」。そしてナックルズは、別のインタヴューで決のように語っている。「アメリカの産業がハウス・ミュージックをサポートしない理由は、それが彼らにとって脅威だからだよ。ハウスという大いなるジャンルは黒人のゲイ・クラブから来ていて、ゲイ・カルチャーに寄り添っているからね。でもね、ハウスはそれ以上のものでもあるんだ。ほかのすべてのジャンルと同じように、ひとりの人間が手をつけたもの以上の大きなものなんだ。ぼくにとって、それは本当に重要なことだ。それを好きになったとき、それに魅了される理由を告白するのが何故問題になるんだい?アメリカではヒップホップはぼくらの文化の強い一部分だ。そう、ブラック・カルチャーのね。でも、多くの人間はそれがハウスとリンクしていることを決して明かさない。ハウスがおかまの音楽に見えるからだ。それこそバカげたマッチョイズムのひとつだ」
同書 p.91-92
本を読みながら上野に出て、カンノさんと昼から飲む。待ち合わせ場所で合流した途端から喋り出し、アメ横のカドクラで立ち飲み、ひつじあいすでクラフトビール、不忍池で缶ビールと五時間しゃべりどおしで愉快だった。もっと話したい。いまとなってはすぐに「正史」に辿り着けてしまうが、もともとテレビやラジオやブックオフやツタヤで偶発的に出会うものたちの経路というのは、人それぞれけっこう間違っていて、その間違いっぷりが面白い。このあたりは無限に話していられそう。ふと内なるミサンドリーについて話題が及ぶ時間があり、その場では『チンチンデビルを追え!』をおすすめするくらいしかできなかったが、もうちょっとしっかり話せればよかったかもしれない。昼から飲んで、夕飯までに帰るというのはかなりいいなと思う。いただいたZINE を読みながら電車に乗るとあっという間だった。酔っ払っていると移動時間がなくなるのは不思議だ。
帰りしなに料理酒と牛乳と鶏肉を買う。舞茸と鶏肉のスープをつくり、鯛の炊き込みご飯と食べる。炊飯器を開けたそばからいい香り。とてもうまい。
寝る前はこの前あずまさんの家で話題に出ていた『太陽を盗んだ男』を観る。変な映画だった。明らかに過剰。そのくせなんか雑であちこちチグハグ。しかしだからこその迫力。こういうアンバランスさからしか出てこない面白さというのがある。Wikipediaの撮影秘話がひどすぎて、二人で段落ごとに読んではひーひー笑う。おかげでまた一時。
