Ryota さんはTwitter で知り合った友達というのもあってさすがにタイムラインに交友が豊かだ。ポイエティークRADIO のゾンビ回はかつてない反響というか、目に見える感想ツイートがいくつもあって嬉しい。僕の喋りもふだんより砕けて楽しげだったように聞こえているらしくて、面白い。午後さんとの時の声が一番ちがう。ものすごくふにゃふにゃしている。シリーズ化を決めた。来月の上旬に日取りを決めて、次回取り上げる『セーラーゾンビ』を視聴するためにau なんとかいうサービスに会員登録してプレミアム特典の無料お試し登録までした。
それで昨日から二日かけて完走した。AKB の新人のお目見えのようなドラマだったのだろうか。テレ東の深夜ドラマらしい、限界まで切り詰めた予算と、演技経験のほとんどないキャストという大きすぎる制約を前に、青春ものとゾンビものという強固なジャンルの型を参照しつつかなり難しいことをやろうとしているドラマだった。アイドルのOJT としての低予算ホラーというのは、かつてのロマンポルノや、現在の企画ものAV のような雰囲気があるというか、キャストの起用周り以外の部分での自由度がかなり高い感じがある。制作者側の挑戦や試行錯誤を読解しようとすると案外読み応えがあるというか、切り口が豊富で無限に語れそうだった。
今日のところはとりあえず見ながらこの日記用に書いたメモを、そのまま載せてしまうことにする。あんまり書きすぎると来月のゾンビ談義のころには満足し切ってしまいかねないからだ。
・ゾンビの有する意識の捉え方
・夢を介した異者との交流
・過去の否定、未来の断絶、現在形の虚しさ
・イニシエーションの喩としてのシリーズ構成
・「面倒臭い」という過去と未来への執着の拒絶
・家族と恋愛の描き方は地獄み
・ゾンビという概念の強力さ→なんでも批評性を帯びちゃう、それを強化するメタ構造
・大人は何を裏切るのか?→外部→子供たちには守るべきものもなければそれを脅かす外部もない?
・百花の特異性→先に社会化され大人になってる
・大人側につくと見せかけていちばん幼稚な側につく=裁判ですでに大人は否定されている
・転校生という異邦人の歓待、異者の受容による共同体の変容、そのネガポジの価値判断はどこで?
・歌い踊ることは他者の歓待である。自ら開かれることは本当に悲劇なのか
・共にあることの困難
・ゾンビの原因説明の半端な拒絶と中断のよさ
確かに学校というのはゾンビと相性がいい。そう思い今度は『がっこうぐらし!』を始めた。これは原作があるようだ。まずはアニメ。一話の最初のノリが合わなくて三回くらい挫折していたのだが、作業をしながら流していると終盤でぐっと掴まれた。なんだこれ、ものすごく辛い。いい、いいゾンビものの心の荒み方をするぞ。関係ないのだけど、今ちょうど『月姫』リメイクを遊んでるせいで顧問の声帯がノエル先生というだけで不穏さを感じてしまう。「人間と見分けのつかないゾンビ」だったらどうしよう……
EXTELLA のアルテラルートを完走し、思わず泣いてしまった。アルテラ、きっと幸せにするからね! とトゥルーエンドを前にすっかりみんなのことが好きになっている。なにより語り手の白野がいい。格好いい。みんなを救っちゃう。なんだかこんなに真っ当な主人公、久しぶりに見た気がする。目の前の他者を当たり前に尊重する、それだけのことで、主人公になれてしまう。いや、それだけのこと、ではないのだ。とても、勇敢なこと。
金曜の読書会までに『働くことの人類学』を読むべきなのだけど、ゾンビと霊子虚構世界とに忙しくてそれどころではない。合間には『反逆の神話』を読んでしまう。果たして間に合うのだろうか。