書店からの振り込みが続き月末を感じる。つまりは年末を意識する。
仕事納め感が欲しくてネットプリントの三号を制作し、出す。制作のお供は「コンテンツ地獄」。去年もあったらしいが全然知らなかった。なんだかとても楽しげな企画で楽しい。ネットプリントは今回は年末年始特別号。柿内正午賞の発表などを行う。選評を書いていくとなんだかんだで今年は過酷でつらい年だったな、と改めて感じる。秋頃からなんとなく人とも会えるようになって、少し和らいだとはいえ、今日の感染者数の伸びを見ているとまた揺り戻しもありそうだし、とにかく先行きが見えず、外部への信頼感を損なう一年だった。よい自閉の塩梅というか、非常に生活感の側から切実に自由を考えるようになった。青臭い憧れではなく、具体的な必要としての自由。
この日記も年の瀬感があって、とにかく内省や振り返りがしたいようだ。今年はそういう感じらしい。
ヒロステ配信のアーカイブを観る。PopIn で大画面のよさはこういう舞台映像にこそ活かされるなあと思う。『アメリカン・ユートピア』のBlu-ray を買ったけれどBlu-ray をPopIn で見るのはなんやかや必要みたいで、配信サイトでレンタルするかなあと考える。なんというか無駄のようだけれど設備を整えるよりは安く済むし、べつに同じものに何度お金を払ってもいい。ともかく今日はヒロステだ。とても面白かった。複数の時系列や空間を同時に舞台上で表現するなど、行っている情報処理の複雑さに舌を巻く。戦闘シーンに過去の回想で別の戦闘を差し込むなんてことなんでしようと思うんだろう、となるし、それを混乱なく見せてしまうのだからすごい。オールマイトが二人いるのとか、舞台上でどうしても起きてしまう齟齬を気にさせずにいさせる視線誘導であるとか、とにかく演出の手数がきめ細やかに多く、だからこそ配信のカメラワークの作為がちょっと貧しくて邪魔だった。これは単純な全景で観たくなるし、そうであれば現場に行きたかった。あとオープニングが二回あるのはお得だ。やっぱり暗転してどーんとみんなが歌って踊るだけでもう感極まってしまうところがある。ステインに刀ステの弥助が重なるところがあり舞台における悪のカリスマの説得力の出し方って実はそんなにパターンがないのかもなあなどと考える。しかし舌の長さがステインそのものだった。役者の力量に結構なバラつきがあって、空間の保たせ方を役者の力量でなく、その体の配置に託すようなところがある気がして、僕はその方が観やすかった。僕は舞台は役者よりも演出を観たいらしい。そういう意味でもやはり全景で観たかった。かっちゃんの子は終演後も可愛い。鬼滅の時のげっそり消耗具合を思うと、もう鬼殺隊はいいからずっと雄英にいなさいよ、と思ってしまう。
今夜はカレー。おせちの前にカレー。元気いっぱい三杯食べる。
