まだ日も昇らないうちから電車に乗る人の多さに、やはり東京は狂ってる。『LOCUST』の最新号を読んでいた。その流れで会社の隙間時間にはiPhone で春木晶子「あなたに北海道を愛しているとは言わせない」を読む。憧れるような文章に久しぶりに出会った。
昨晩は興奮して眠れなかった。なぜなら今日は五時起きだから。遠足みたい! でも仕事なのだ。十三時間くらい働いて、体感時間は普段の労働とさほど変わらない。なんなら短いくらいだが、眠たすぎて体が火照り、あくびをしないうちから涙が次から次へと溢れていく。
満身創痍の帰りの電車で『LOCUST』を読み終える。巻末のおしゃべりがとてもよかった。迷いながら、思考を遊ばせ、これからの遊び方を考えていく。
(…)色んな思考の遊びが生まれてくる場には無数のエラーを抱え込むことのできる余白が必要だ。言い換えれば無駄に満ちた過剰飽和から思考の遊びは生起する。これが「イナゴ的な群れの可能性」で提起したい問題でした。いまたぶんライク経済とかコミュニケーション資本主義みたいに言われる資本性の必然として、カリスマとファンの「いいね」からなるサロンビジネス的なものが言説市場で幅を利かせてると思うんですよ。思想は流通しなければ意味がない、なぜなら流通経路の複数性が思想を事後的に豊かにするからだという理屈はわかりますが、いまや言説の流通を支えているのは情動です。島宇宙を超える市場の流通経路が思想の豊かさを支える。だけど、思想の流通を活性化するためにはもっとも情動を動員しやすい友/敵のメカニズムに依拠せざるを得ない。思想の内容はなんであれ、実践的には、結果的に、誰かを暴力的に糾弾してカリスマ感を演出する(商品価値を高める)という戦略になるわけです。
「別の遊びの方へ」『LOCUST Vol.05 北海道』p.175
僕は昨日ポッドキャストの宣伝のていで、友達を作ることの大事さを書いたが、これはわざわざ敵を設定しないで友達を作るのが大事ということだ。情動による動員、情動による商品価値の向上、そういうものとなるべく距離をとって、とにかくあらゆるものごとを程度の問題として、距離感を自在に調整しながら面白がっていく態度。僕はそういうふうでありたい。そのためには、余裕が、たっぷりの余裕が必要だ。僕にとって余裕とはまずもってお金があれば作れるもので、時間はそんなになくてもいい。だからこそ僕は会社員を辞めないし、いまのままで最高に楽しい。しかし一番の理想はお金の心配をせずにあらゆる時間を豊潤な暇をもてあそびつづけることだ。お金がないとどうしようもない世の中は辞めたい。それが辞められないのならば、現状いちばん辞めるのに近い形が僕にとっては会社員なのだろう。