2022.02.02

自分のことなんて別に誰も気にしてないな、というか、どこにいってもお呼びでないな、という気持ちがいつでもある。

その人を必要としていない、招いていない、不要もしくは邪魔である、などの意味の表現。

https://www.weblio.jp/content/およびでない

必要とされてないし、招かれてもいない、なんだったら邪魔。そういうものとして、僕は僕のことを捉えている。そうでなかったらこうして毎日日記を公開したりとかできないかもしれない。必要とされ、招かれ、歓迎される日記。そんなのって、とても苦しい。たいして相手にはされない、という思いがあるからこそ、好き勝手に書けるし、話せる。こうした感覚は、もっと構ってほしい、もっと多くの耳目を集めて然るべきだ、という過剰な自信だか欲望だか何かが根っこにあるのだとは思うが、いざそうなったら僕は何も差し出せるものがない。それにそうした想いはあるにせよ、欲求不満という感じではなくて、僕はわりあい満足している。僕は多分ある程度の人がいる場所で、その人たちとそこまで交わらずに小さく好きに遊んでいる、という状況が好きなのだ。構って欲しそうに人の群れに近づいていっては、所在なさげにうろつき、一人で黙々となにかをしている。僕は、うろんな客なのだ。

僕は日記でいつも自分の話をしているな、と思うのだけれど、これは公開を前提に日記を書いているからこそのへんな感覚で、自分の日記なのだから自分の話になるだろう。自分というものを自分で把握できたり、コントロールできるものとして捉えているような人とは僕はうまく話が噛み合わないような気がしていて、自分のこともよくわからないものとして、こうなんじゃないか、という仮説のもとに他者との関係のとり結び方を模索するような話をする人が僕は好きだった。それは自分語りと揶揄されがちなものなのかもしれないが、自分語りにも質的な差異があるし、自分語りでないふりをして自分のことしか考えていないような語りもある。僕は人の自分語りは好きだけれど、自分のことしか考えていない文章はあんまり好きではない。このちがいをまだうまく言葉にはできない気もするけれど、この数日書いている友と敵を分けない友達の作り方の話とも関係しているだろう。僕は誰にも相手にされていない。その認識と、僕が僕を大切に扱うことはまったく矛盾しない。むしろ、役に立つとか意味があるとか、そんなふうに誰かが自分を大切に扱うことに根拠や正当性を求めるような外圧には中指を立て続けてるつもりだ。

(…)内面を語ること、魂をぶちまけることは、それなりに許されていたし、告白と同様、今日にいたるまで人びとの興味をそそり魅了してきた。だがこのような内面の吐露は、本来誰にとってもそれほどの重要事ではないから、すぐに忘れられてしまう。(…)

アーレント『ラーエル・ファルンハーゲン』大島かおり訳(みすず書房) p.109

ここまで書いたことはふだんから思っているというか、自分の基本設定みたいなもので、とくだん卑屈さも悲観も込めていないつもりだけれど、それはそれとして、今日はものすごく気分が落ちている。寝不足で外界とのフィードバックがうまくいかない。特に自分の身幅を測る機能が低下しているらしく、あちこちに体をぶつける。その度に、俺はもう終わりだ、という気分になる。おしまい。そんなんじゃすぐにおしまいになってしまう。耳も聞こえないし、しっぽも凍っちゃった。101匹わんちゃん。

わかっている。寝不足なのだ。こういう時はさっさと寝ないと、悲しい理由を無理矢理探し出して取り返しがつかないほど悲しくなってしまう。理由なんてないのだ。探さず寝よう。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。