書店にゆく。おおくのばあい、入口のすぐかたわらに読書本コーナーがもうけられている。読書案内、読書法、書物随筆といった種類の本が、めだっておおくなった。こうした「本についての本」の洪水からまっさきにきこえてくるのは、本について意識過剰にならざるをえなくなった出版関係者の悲鳴のようなものである。そこには私自身の悲鳴もまじっている。本が売れない本屋は、本ではなく、本のイメージを売る。本を読むこと、本を買うこと、本を所有することが、いかに充実した行為であるかという雰囲気を売る。はじめから雰囲気以外のなにものでもない「知的生活」を売る。その結果として、本にたいする時節はずれのフェティシズムが増大する。
津野海太郎『編集の提案』(黒鳥社)p.156
「知的生活」の雰囲気を売る。それは僕が日記でやっていることだった。これを出版業界内でやると閉塞感がすごいが、門外漢の素人がやると頓馬になる。まぬけの踊りだ。ようく見ておけ。たまに面白いよ。
さて、今晩は結婚記念日ディナーだった。記念日が今日なのではなく、記念日にかこつけたディナーがたまたま今日なのだが、そもそも結婚記念日というものも、たまたまその日が都合がよさそうというだけで、だからなんだというものではない。とはいえめでたいものなのだ。六年、かな? そのくらいの日数奥さんと暮らしている。くたびれている日が大半だけれど二人でいなかったらもっとひどいことになっていただろうから、よろよろと寄りかかり合いながら、よくここまでやってきた。自分たちの意思で選び取った他者との暮らしを、ここまで仲良く維持してきたというのはすごいことだ。
午後まで家でだらだらして、二人ともおめかしして家を出る。五年前に奥さんからプレゼントしてもらった細身のスーツはまだ格好よく着ることができる。奥さんの耳には大きくて格好いいピアス。孔雀のネックレスは結婚を記念して買ったもの。結納的なやつの代わりに買ったのだったか。僕はその時は財布をもらった。
目的もなく散歩をする。リトルナップでカフェラテといちじくのキャラメルケーキを買って、代々木公園で一服。公園の緑道を歩いている時だったか、奥さんが、はあ、とため息をついた。どうしたの? 花粉つらい? 気圧がしんどい? と訊くと、うーん、まあいいや、と応える。こういうとき、結婚してもう何年かあ、みたいな感慨に浸っているとは考えないのね、と感心されたが、こうして日記を書き出すと感慨というのはやってくる。すごいなあ、七年か、えっと六年? そのくらいかあ。
そのまま渋谷へ向かって、タワレコに高校生ぶりとかに入って、あのころタワレコといえば上前津の、あれはパルコだったか、とにかくあの辺のことで、だから東京のタワレコは初めて入ったかもしれない。顔ぶれがそのころから変わっていない気がして、高齢化社会、と思う。かつて20周年記念リマスターが30周年でまたリマスターされてる。
ちょうどいい時間で、エリックサウス・マサラダイナー。自分たちのお金で自分たちのためにコースを食べるというのは初めてのことで、大人な感じがする。コースのお品書きには、料理の説明の三倍くらいの分量の余談が付いている。おそらく稲田俊輔さんの文章なのだけど、知的な好きなもの語りというのは本当に愉快なものだなと嬉しくなる。「ともかく「いなたさ」はインドレストランのとてもチャーミグな魅力の一つなのです」。空豆のボンダでスタート。揚げ物にビールがよく合う。この時点ですでに楽しい。春野菜のグリルとスパイシーポークリエット。リエットって要はコンビーフみたいなやつだ。スナップエンドウがほんとうに美味しい。ほっこりした甘みとすっきりした青み。よくわからないが。はああ、おいしいなあ! ホワイトアスパラガスのムリガタニースープ。『おいしいものでできている』を読んだ二人はホワイトアスパラガスに異様な楽しみを持っていた。ホワイトアスパラガスをこんなに待望したことなんてない。そしてそれは確かにいいものだった。シーフードマッカーニー。さっと表面だけ焼くような魚介で「いなたい」バタチキカレーは神保町の欧風カレーの味。これをロティでこのカレーをぺろりしてしまったことで、満腹具合がぐっと高まってしまった。ビーフキーマプラオと牛サガリのステーキ・山わさびのライタ。おししいお肉だ! もといおいしいお肉だ! 奥さんとご飯を食べると食べているご飯の話しかしない。スナップエンドウおいしいねえ、この黒いやつはなんだろう、ああホワイトアスパラガスって歯触りを食べるやつなんだね、などと、とにかく目の前の料理に集中して、真剣だ。おまけの「わんこカレー」はもう満腹だったが意地で全種類お願いして、おいしく食べた。うっぷす。デザートはベイクドヨーグルトハルワ。ヨーグルトのすっきりとした酸味で、爽やか。満腹後でもおいしく食べられる。たっぷり三時間堪能して、これはいい遊びだった。一個の演劇を見るのに近い感覚。「わんこカレー」は千秋楽のキャスト全員挨拶のようなものだったけれど、デザートは座長の涙のようなもので、大満足して二駅歩いて腹ごなし。
これからも、仲よく機嫌よく一緒にそれぞれ生きていけたらいいな、と思う。
帰りの電車ではiPad で宮崎湧の配信を二人で見ながら本当に恐ろしい子だと思う。ぞわぞわと不安な気持ちで、へへ、と笑い声が漏れてしまうような配信。頭の回転が早いのに、なんでこんなに不安な感じなのだろう。今日の日記の締めがこれでいいのだろうか、宮崎湧はいつになったらコメントをちゃんと読むのだろうか。プリン、ちゃんと作れるのだろうか。とても不安だ。なんなんだこいつは。