ハルヒはだらだら流し見るものとして、まじめに観るものとして『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を始めた。まだ三話なのだが、すでに涙腺が決壊していて、奥さんは、あなたこういうの絶対好きだよね、と言った。そう、僕はこういう情操教育ものというか、人ならざるものが人になっていく話がとても、とても好きなのだ……
好きすぎて観るのには時間がかかるだろう。僕は大切に観たいものほど観ないで済ませてしまうことが多い。本もそうだ。いま読んでいる分厚い三冊はどれもちゃんと読む本で、いい加減に読む枠が空白のまま三冊も並走してしまっている。アニメやドラマの方が捗るのは、だらだら見るものとしてもありうるからだ。Twitter代わりにとりあえず読むものが不在だからこそ、アニメをとりあえず流しておくことになる。プルーストはそういうだらだら読むものとして最適だった。いつまでも終わらないし、読んでいて夢中になりすぎることもなかったから。いま読んでいる三冊は面白すぎる。ついついちゃんと読んでしまう。適度にどうでもいい本が欲しかった。こういうとき、日記本というのはとてもちょうどいいんだろうな、と思う。柿内正午さんの新刊とかすごくちょうどよさそうだ。早く読みたいなあ。
いつだかに開催したお芝居やご飯や音楽がある小さなイベントに、友人の当時の恋人が来ていてそいつが碌でもなかったという話を奥さんはしたのだけれど、僕はまったく覚えていなかった。奥さんのその記憶の登場人物のはんぶんも思い出せないのだけれど、奥さんが覚えているということはあったのだろう。記憶というのは反芻しないと消えていく。そうであるならば、僕はもっと奥さんと思い出話をしたほうがいい。奥さんが覚えているうちに、奥さんに語り聞かせてもらう記憶を、僕は日記に書き散らかしておく。後から読み返すとき、日記の書かれたその日のことだけでは不十分で、いつかのなにかを思い出していたということの方がずっと重要なことのように感じる。僕はすぐになんでもかんでも忘れてしまうから、なにかを鮮明に思い出せたとき、その鮮明さにものすごく嬉しくなる。かつてあったことがまざまざと蘇ってくること。それが嬉しいから、僕はつねに何かを読んだり書いたりしているのだろうし、最近はぼんやりとしてしまって、何も思い出さないし覚えもしない。そんなふうでいてしまっていると考えた。