誰からも必要とされていない、というような感覚。さみしさあるいは渇望、そういった精神的な飢餓感というのはたいてい食事か睡眠が足りていないときに起こる。あとは人によっては性的欲求不満とつよく結びついたりもするのだろう。とにかく、精神的な飢餓感だと認識しているものも、基本的には肉体の具体的な欲求に由来しているという自覚は大事なことで、これを社会的な使命感や他者への怨嗟として過大評価すると碌なことがない。とにかく不調だ。夏バテだ。2022年夏バテ宣言が出ました。例年より三週間弱早い宣言となります。今年の勤勉さはもうおしまいです。さようなら。ありがとうございました。ちゃんちゃん。
そもそもが僕は勤勉に向いていない。つねに暇していたい。やらなくちゃいけないことがあってもうっちゃっていたい。そういう性分なのだ。勤勉でいると具体的なタスクの処理にしか能力が使われないが、それではいけない。暇なときに暇から逃げずに徹底的に暇をして、余剰のエネルギーをなんとなく出し惜しみしてそのまま内側でぐるぐると弄んでいてはじめて何か面白げなものは生まれうる。何も生まれずただ腐っていくことも多いが、そんなことに構っていてはすぐに必要に囚われてつまらなくなるだろう。そもそも人は用事があって生まれてくるわけではない。もっと無為な時間を享楽するべきなのだ。
こういうたわ言が空疎に響くのは、皆が勤勉だからでも、勤勉が美徳だからでもない。勤勉に働かないと生活が回らないほどにお金なしにはどうにもならずお金を稼ぐのに手間暇がかかる社会の仕組みなのが悪い。
だいたい暑い日に働かせようという発想自体が醜悪極まりない。暑い日は、むりだろ。これからは無理な日が続く。それなのに、労働が忙しくなりそうな予感がする。そんなのはいやだ!