2022.04.15

気分が晴れない。通常時でさえ低空飛行である労働への意欲がぺちゃんこになっている。それはそこまで珍しいことではない。ただ、日々を愉快に生きていこうという意欲さえもぺちゃんこになってしまっているようだ。なぜだろう。

労働がうまく進まないからとかそういうことではない。僕は労働で満足を得ることを諦める代わりに労働で凹むことを避けるという作戦を立ててこれまでやってきた。これは僕の基本スタンスだ。とはいえ労働がうまくいかないと人並みに凹みはする。だから労働の行き詰まりがこの気持ちの塞ぎにまったく関係がないとは思わない。けれどもそれだけでここまで気分が落ちるということはないように思う。なぜなら、いま以上にうまくいっていない状況の方が多かったし、その時でさえも僕は呑気な顔でいたからだ。責任感とは、仕事に気分を持ち込むことではない。だから責任感が芽生えてこれまで以上に労働の進捗に感情が左右されているというわけでもないだろう。

柿内正午がうまくいっていないというわけでもない。今年二冊目の本の制作が佳境で充実しているし、新刊も既刊も好調だ。外部からの依頼はなんにもないのは物足りないが、そのぶん自主連載を増やして勝手に忙しくしている。そもそも柿内正午は楽しく遊ぶためのペルソナで、勤勉さを発揮するためのものでもない。だからあんまり忙しくしすぎない方がヘルシーだった。だとすると、いますでに過活動気味なのかもしれない。いま僕は柿内正午のペルソナに過大に依存していて、日々が圧迫されているのでは? しかし柿内正午はフィクションだが、柿内正午が暮らし記述する日々は本人と変わらないものなわけで、柿内正午の充実は本人の充実とだいたい同じことだ。であるならば柿内正午の過剰というのはそもそも歓迎すべき事態かもしれない。個人はつねに分裂しているものだから、一意に決まるアイデンティティの不在なんかは最初から問題ではない。

であるならば、原因は寒暖差だろう。気圧もぐんと下がっていくし、半袖でも暑かった陽気から一転、きのうから指先が冷たい。雨も降ってるし。こうなってくると僕にできることはない。地球がこうだからしょうがない。ちっぽけな個人には為すすべがないから、じっとしているほかはない。じっとしているほかはないのに、労働や柿内正午に行為へと駆り立てられるのが苦しいというのはあるかもしれない。とはいえ出荷も落ち着いているし、柿内正午の方はじっとしていても日記にはなるのだから、こちらはそこまで脅威ではない。やはり、労働が悪いのだ。出勤したくない、家でじっとしていたい。うまくいかないことがあったらすぐにその場に丸まってしょげたい。わざわざ電車に乗って、飛沫にまみれながら働かれること、弱音をすぐに吐けない環境でしゃんとしているふりをすること。それが今はしんどいようだった。めそめそするぜ。とってもな。僕はいまとってもめそめそした気持ちでいる。そして、それはどうしようもない。

めそめそ毎日のように面白かったり面白くなかったりする日記を書くことしかできない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。