2022.04.16

昨晩は寝る前に衝動的にU-NEXTに加入して『ピースメイカー』を観る。ほんとうに楽しみにしていたのだな、とこの性急さを後から振り返って知る。ほんとうに楽しみにしていたのだ。べらぼうに面白かった。満足して寝た。

電車の中は空いてはいないが着席する人がまばらで座ることができた。僕の座ったところから三人分の席が空いていて、僕から数えて二つ目の席には大きな荷物が置いてあって、その向こうでおじさんがあごマスクでぶつぶつ話している。その話し声は囁きに近く、聞き取れるほどではない。ただ、なにか悪態であることはわかった。サイズの合わないサンダルからのぞく黒ずんだ足。このおじさんは誰に向かって声を発しているのだろうな、と思う。誰もが露骨におじさんの周囲を避けるようにして車両を移ったり少し離れたところに立つことを選ぶなか、独り言は鎧のようなものだったかもしれない。出入口のところに立っている黒マスクのおっさんはつねに苛々と足の裏を床に叩きつけていて、定期的にトス、トス、という大きな音が響く。僕はこの車内においてこのおっさんのほうが害ではないかと思う。二人とも攻撃性を露わにしてはいるが、おじさんのそれは身を守るためのそれで、おっさんはただ苛立ちのトイレトレーニングがなってない幼稚さのように感じられた。けれどもこれは、おじさんへのいやらしい憐憫でないとは言い切れない。

日記も含め、文章を書くとき僕は決定的に間違えているかもしれないというおそれがある。だからこそ文字という道具を使って形を作ってみて、その形はおかしいとか、もっとこういう形がいいとか教えてもらいたいと思って書いているところがある。僕が何かを教えたいのではない。僕が何かを与えられるとは思えない。僕がものを書くのはとことん利己的で、誰かに訂正され、教えてもらいたいからだ。もっとましな人間になるために書く、というよりも、もっとましな人間にしてもらうために書く。書き、読んでもらうとは、自己発信であるよりも受け身の態度なのだと思う。とはいえ、じっさいに感想などをいただけることは稀だ。感想が欲しいとツイートするとほんとうに感想をくれる人がいて、そうか、素直に欲しいって言えばよかったのか、と嬉しくなる。

お昼時に空いてて安くて美味い店見つけると自分は天才なんじゃないかと思うけど、きょう土曜か、平日は混んでんのかな。

退勤後は双子のライオン堂で楽しみなお話をして、ゾンビの本を二冊買った。そのあと奥さんとデート。なんかわけわかんないものでも見るか、と21_21 DESIGN SIGHT の展示に行ったのだけど、わけわかんないどころかわけわかるものばかりで、いま未来をこの分量で語ろうとすると誰であれ陳腐になっちゃうよなあと思う。陳列のそれっぽさが「WIRED」っぽいと思ったらキュレーターがまさに現編集長ということで、雑誌を本の形から空間に展開してみるという試みなのか、と思うとすこし面白いような気もした。大半の時間を音のパフォーマンスのところで過ごした。すぐに目が慣れてきちゃうので、なんども明るい方を向いてまた暗さを楽しんだ。

高価そうなビルに入っているつじ半でぜいたくな海鮮丼を食べて帰る。おいしかった。満足。おいしいもので終えると一日がいいもののように思えるからいい。

帰りの電車で早速先ほど買った『新世紀ゾンビ論』にぱらぱら目を通す。帯に『セーラーゾンビ』とあるから「僕たちより先に本にしてた人がいた!」と思って買ったのだが、読んでみるとアーケードゲームの話だけで肩透かしだった。前書きを隣から覗き込む奥さんが「!が多いね?」と面白がる。他に挙げられている作品も「さすがに広義のゾンビすぎやしないか」と思えて、ゾンビを論じた本というよりも、自分の論じたいことをゾンビを利用して書くというような本だと感じた。だからこれは読まないで売っちゃうかもしれない。でも久しぶりに文句の言い甲斐のある本な気もして、けっこう楽しく読んでこれをだしに僕も好き勝手じぶんの言いたいことを書くのかもしれない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。