2022.05.05

慎改康之『ミシェル・フーコー──自己から抜け出すための哲学』の流れで『思考集成』の再編集版である『フーコー・コレクション』を始める。狂気と性を通じて考える主体──主権ではなく。精神疾患とジェンダーの現代、フーコーの掲げていた問いは非常にアクチュアルだな、と思う。

──私にとっていちばんたいせつな仕事は、権力理論を再構築することなのです。セクシュアリテについて書くという楽しみだけでは、(少なくても) 六巻におよぶこの連作にとりかかろうという気になれたかどうか。もう少しこの権力の問題を把握しなおさなければという気持にかられたからこそできたことでしょう。思うに権力の問題は、 十六世紀と十七世紀の法―哲学思想によって規定されたモデルに従って、たいていの場合は主権の問題に還元させられているような気がします。すなわち、国家主権とは何か、国家主権はいかにして成立しうるか、諸個人を君主に結びつけるものは何か、といった問いですね。 十八世紀から十九世紀にいたるまでの間に、王政派、反王政派を問わず法律家たちが提起したこの問題、それがいまだにわれわれにつきまとっていて、一連の分析領域を駄目にしているような気がします。 たしかにこうした分析領域はいかにも経験的で、二次的なものにみえるかもしれませんが、結局のところこれらの分析こそ、われわれの身体にかかわり、われわれの存在、われわれの日常生活にかかわるものなのです。いまいったような、もっぱら国家の支配権力が問題とされているあり方にたいして、私は、それとは別の方向にむかうような分析を提起してみたいと思ったわけです。 社会体のそれぞれの場所、男と女のあいだ、家族のなか、教師と生徒のあいだ、知る者と知らざる者のあいだ、 それぞれの場に権力の関係がつらぬいておりますが、そうした権力の関係は、ただたんに大いなる支配権力が諸個人のうえに純粋に投射されたものではありません。むしろそうした権力の関係は、支配権力がそこに根を下ろしにくる、可動的で具体的な土壌なのであり、支配権力が機能しうるための可能性の条件なのです。家族は、今日にいたってもなおそうですが、国家権力のたんなる反映、その延長ではありません。 家族は子どもにたいして国家を代表するわけではない。女にたいして男が国家を代表するわけではないのとまったくおなじです。 国家が国家として機能しうるためには、男の女にたいする、あるいは大人の子どもにたいする、まったく特殊な支配関係が存在しなければならない。それらの支配関係にはそれ固有の布置があり、相対的な自律性がそなわっています。 

ミシェル・フーコー『フーコー・コレクション5 性・真理』小林康夫/石田英敬/松浦寿輝編(ちくま学芸文庫) p.20-21

主権(国家権力あるいは支配権力)というマクロの構造が家族や友人関係といったミクロの構造を規定しているとは限らない。構造の規定のされ方は相互的なのであって、それぞれに自律しつつ、お互いの成立を基礎づけている。この意味においてこそ、個々人の生活実践はマクロな構造の転換に直結しうる。けれども気を付けなければいけないのは、個々人の精神もまた、他の関係性の中で形作られるものであって、自明のものではないということ。マクロもミクロもあらゆる権力体系の恣意性を明らかにすることこそがフーコーの仕事であったらしい。

今晩は仕立て屋のサーカス。出店を眺めて、PEOPLE BOOKSTOREで夢枕獏編『鬼譚』とモヤ『無分別』を衝動買い。夕書房ではマスクさんの本が目の前で売り切れてしまうといううれしい思いをした。ちまきとイチゴ、念願のコートまで買ってしまう。これから遠出だというのにずいぶんと買いものを満喫する。一部の演奏はベースの不在が際立って寂しかった。だからこそメンバー紹介で「失踪者」としてガンジーさんが紹介されたときつい泣いてしまった。二部になると寂しさはやわらぎ、大学教授の講義が成立してしまうサーカスというのはとびきり素敵だと感じた。藤原先生に当てられて、うれしく応答した。久しぶりの生徒の感覚。この先生は好きだな。終盤の布が森のように見えるさまはやっぱり感動的だった。七年だか八年前にVACANT に初めてサーカスを観に行った時の同行者と偶然会場で出くわしてうれしい気持ちになった。もうずいぶん長いこと、僕はこのサーカスが好きだ。かわいいコートを羽織ってうきうき会場をあとにする。

ニュウマンの沢村で夕食。イカの烏賊味噌煮とアヒージョをパンですくって食べる。スパークリングワインとモスコミュールでほろ酔い。これから夜行バスで神戸へ行く。まったく意識していなかったけれど、『偶然と想像』からの『ハッピーアワー』だ。

Kindle に夜行バス用のセットリストを組む。寝れるのがいちばんではあるのだが、今晩は小田イ輔『祟リ喰イ』、神沼三平太『凄惨蒐』、朱雀門出『第六脳釘怪談』、我妻俊樹『憑き人』をメインに回していく。寝れるのがいちばんではあるのだが。

まだ予感でしかないけれど、絶え間のない自己からの脱却の試行であるという点で、フーコーと実話怪談の読み合わせは絶妙なのではないか。さいきんはそんなことを真剣に考えている。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。