自然霊という俗説がある。自分に憑いている守護霊が、天狗か稲荷か、みたいなことでその人の性質がわかる、そういう話だ。たとえば龍神が憑いている人は「雨女・雨男」で、とにかく出かけようという時は必ずのように雨が降る。反対に稲荷が憑いていると「晴れ女・晴れ男」なんだとか。
柿内さんは妻のことを「奥さん」とふざけて呼ぶ。これは書き言葉において、ということではなく、じっさいに生身の人間同士でもそう呼ぶそうだ。この奥さんが、自他共に認める稲荷系だという。
稲荷系の特徴として、やたらと晴れることのほかに、立ち寄った場所を妙に繁盛させるというのがあるらしい。その人がお店に入ると、それまでガラガラだったのに、にわかに混み合ってくる。別にインフルエンサーだとかそういう話でも、食レポさながらに大声で語りながら食事をするわけでもない。
ただ、その人がそこにいるだけで、不思議と人が集まってくるのだ。
その日柿内夫妻は谷根千を散歩していた。目星をつけていた千駄木の台湾喫茶でのんびりとランチとお茶を楽しみ、そのままぶらぶらと根津の方へと歩いていく。
いつも通るお気に入りの道に、ツル科の植物にびっしりと覆われた古い建物がある。木造で、窓の格子の作りなんかも古風だ。壁面はもちろん、歩道側に構えられた日陰棚にまで鬱蒼と茂っていて、目の前を通るたびにここはなんなんだろうと思いつつ、店らしいものはつねに閉まっているようだった。そのはずなのに。
今日は、店が、開いている。
洋菓子店らしい。先客はまばらだ。表にはコピー紙に手書きで「16:00より焼きたてシュークリーム」と書いてある。柿内夫妻は目を見合わせる。そして時計に目をやる。十五時五十五分。あと、五分で焼き上がる。
せっかくなら、と店に入り、先に料金を払う。五分間、店の周りでぼんやりと待つ。そのあいだにも、続々と人が集まってくる。あっという間に店の前の通りは人でいっぱいだ。いったいどこから、これだけの人が──
柿内さんは驚くが、これはまだ焼きたての魅力というものだろう、と説明がつく。近隣の方々はこの時間帯に焼き上がることを知っていても可怪しくはない。
焼きたてのシュークリームは美味しかった。
こういうラッキーがあると嬉しいね、と二人で気分良く散歩を続ける。なんとなく上野の方へと歩くというのが今日の感じだった。タナカホンヤの隣にジェラート屋さんを見つけて、なんとなく入る。ほうじ茶とチョコレートのジェラートを注文して、軒先のベンチでわくわく待っていると。
一組。そしてまた一組。
それまで夫妻しかいなかったお店が、あっという間にジェラート待ちの人々で埋め尽くされていく。
これは、たしかにナニカがある。
柿内夫妻はともに非常に聡明で合理的なので、基本的にスピリチュアル業界には懐疑的だ。
しかし。
弱った心に付け入る悪徳事業者の不埒な思惑とは別に、世界には不思議なことというのはありえるだろう、とも思っている。
じっさい今日はずっと危なげな曇り空で、いつ降り出すかと思っていたのに、二人が出かけている間は降らずにいた。晴れ女、というには弱いかもしれないが、雨に拮抗するナニカがあるとも考えられる。
それに、二軒続けて来店の直後から店が賑わうというのはどういうことだろう。
柿内さんはふとなにか気がついたような顔をして、すぐに自嘲気味に首を横に振る。
「そういえばさ」
それでも言わずにはおれないのだろう。奥さんに話しかける。
「根津神社って、お稲荷さんだよね」
ジェラートを食べ終え、店を出る。その後そのお店の客入りがどうだったのか。
それは誰にもわからない。
二人が最寄りの駅に着いた頃、ようやく雨がぽつぽつと降り出した。
「今日は楽しかったね」
そう言って、奥さんはニヤリと笑う。
