2022.06.02

昨晩は友達とライブハウスに出かけた奥さんを待っているでもなくだらだらとしていて、公開されたFGO の新章を進めていたのだが、進めども進めども終わりそうになく、これは今晩中にはどうにもならないなと思いつつ止める判断もできずに結局二時ごろまで遊んでいたと思う。そのあいだに奥さんは帰ってきて、いいライブだったこと、友達と久しぶりに終電近くまで話し込んで楽しかったことなどを聞かせてもらったりもした。

それで、ああ、午前中はただ寝ているだけで終わってしまうなあ、とさみしい気持ちで寝入ったのだけれど、朝奥さんが起き出す気配で目を覚まし、そのまま微睡んでいるとすぐにピンポンが鳴った。奥さんが玄関に向かうパタパタという振動を感じる。配達の人の声音の揺らぎ、応答する奥さんの声のこわばりから、なんだか大きな荷物のようだ。

お誕生日おめでとう!

すぐさま段ボールを抱えて寝室に入ってきた奥さんは嬉しそうで、その顔を見て僕もぱっと起き上がる。お腹の底のほうから感激が湧き上がってくるのを感じる。

え、嬉しい!

一昨日の晩だったか、その日も寝苦しく、隣の奥さんのほうに転がりながら僕は誕生日プレゼントが欲しいみたいだと話していた。今年は文フリで本を売ったりと楽しく過ごしたしケーキも食べたが、なんとなく慌ただしさで誕生日を流してしまった感覚があって、それが自分で思うよりも物足りなさを覚えるようなのだ。なんか、大きくて嵩張るプレゼントが欲しい。たとえば、この一年近く買いあぐねている抱き枕とか。抱き枕はいろんな種類があって、調べるうちにいつもわけわからんくなるから、適当に調べてほしいな、それで一緒に買いに行くとかさ、そんなことをぽつりぽつりと自分に確かめるようにして話した。奥さんは、そうか、そうだよね、と言って、それで二人とも寝たのだと思う。

そうしたら、翌日にはもうしれっと買ってくれていたということだ。なんだかほんとうに嬉しくて、枕の抱き心地を確かめて、でもあんまり確かめると二度寝してしまうから気をつけた。なんだかこんなにうきうきとした目覚めは久しぶりな気がする。ありがとう、と何度も言って、言い足りないが言い過ぎても仕方ない。寝ぼけ顔のまま抱き枕にしがみついているところを写真に撮ってもらう。ここまで書いて思い至るが、自分のiPhoneを差し出して撮ってもらった自分をまだ確認していない。僕はわりと写真に撮られた自分を見るのが好きなほうで、すぐに写りを確認したくなるので珍しいことだった。こんなことを書きながらもまだ確認する気にならないから面白い。

せっかく案外はやく起きれたのだから、と朝ごはんを済ませて相変わらず終わりの見えないFGO をすこし遊ぶと出かけることにして、買うばかりで読めていない本に手をつけようと下北沢にまで。

本屋B&B で、各コーナーに格好よく並べられた自分の本を頼もしく見守る。

いつの間にか再開していたTENT のお店で気になっていたグッズをいくつか買って、今日の店番の人はいらっしゃいもこんにちはもなく打ち合わせだかに夢中でなんとなく感じが悪かったので、こちらも自然と無愛想になる。お店の雰囲気というのはほんのすこしの気遣いの有無で大きく左右されてしまうよな、とそのデリケートさを思う。買うと決めていなかったらここにお金を払いたくないとさえ思う。

fuzkue の店番もはじめて見る顔で、やや動きに忙しなさや煩さを感じてしまうのでかすかな不安を覚えた。たとえばちょうど本に没入するタイミングで食器の片付けがなされたり、それはまあ仕方がないことかもしれないけれどなんとなく気になってしまう。どうも今日はそういう日なのかもしれない。どこが、と名指せない雰囲気で、合わないな、と思ってしまう相手というのがいて、それは誰の責任だとか過失とかいう話ではなく、ただ僕と他人や空間との相性のよくなさだけがある。うまくハマれなさを感じつつもトーフビーツの日記を読みながらカレーを食べ終え、それから『旅する練習』を開いて、一気に読み通す。贅沢な時間だった。中盤からずっと涙ぐんでいて、とうとう溢れそうなタイミングで隣の席の片付けと消毒が始まって、その気配にすんと涙が引っ込む。なんとも間が悪い。そのまま読み進めていき、小説のもたらす感動の予感とその抑制とが高まれば高まるほど、嫌な予感も確度を増していく。そしてとうとう抑えが解かれてワアッと感情が溢れたところで予感通りのあっけなさで小説は終わる。小説としての必然を納得しつつも、だからこそわざわざその必然に従順でなくてもいいじゃないかという白けた気持ちもないではない。結果や目的に収斂させたくない、という気持ちが僕に小説を読ませるのだから、どこか一点に還元するような読みを頑なに拒絶したい気持ちがある。練習。歩き、蹴るように書くことの反復に僕は何度もはっとして、家にこもりがちな僕は内省ばかりで観察をしていなかったな、と思い至る。今朝の抱き枕の、人のお尻を思わせる張りとすべらかさ。ビーズクッションの石油のにおい。すぐに湿気のこもる寝室のどこか落ち着くヒト科の獣臭。

トイレに行くついでに広場のベンチでぼんやりと日向ぼっこをする。風が気持ちいい。広場に植えられた植物の名前を僕はひとつもわからないけれど、緑というのは他のどの色よりもバリエーションが豊かだといつも驚く。アブラナは流石にわかった。そういえばもう十年以上アブラムシを視認していない気がする。目を凝らしたが見つけられなかった。いい小説を読むとやけに風景が眩しく見える。ここ二年の僕にとって、世界とは発光する板ばかりで、こうやって吸収しきれなかった光を返してくる色彩から離れていたんだな、とわかる。僕にいま足りないのは発光体ではないものたちの反射する色たちだ。もうこのまま散歩でもして帰ろうかとも思う。けれども張り切って何冊もリュックに詰めてきたしなあと思いながらそうやって草木や空や風を眺めていて、喉が渇いた頃にお店に戻った。

アイスコーヒーとチーズケーキを頬張って、さっき買った手遊びグッズをしばらく弄んだのち、そのまま手遊びを続けつつ、植本一子と滝口悠生の往復書簡を始める。このまま人が人を思いやる文章が読みたかった。とても気持ちがいい本で、ぽつねんとして呑気であることの大事さを思い出すようにして読んだ。僕が小説を書くことはなさそうだけれど、小説家のように暮らしていたいとは思っていて、それは僕にとってぽつねんとして呑気ということだった。あっさりと随分遠ざかってしまったものだ。

そぞろ歩くように記憶の点検をする。そのようにしてぼんやりしたい。毎日散歩の時間を設けよう。そのさいはiPhoneを家に置いてこう、と考える。この類の習慣が続いた試しはないのだけれど。いい本というのは、体を動かしたくなるものだ。爽やかな気持ちで帰路につく。電車ですこし酔う。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。