ハウスダストだか花粉だかで鼻がずっとむずむずしてる。くしゃみも出るし汁も垂れる。やだ。粘度が低く、油断するとすぐにふとももに零れ落ちるから困る。体はどこもそうだが、ほかの部位との際の部分が敏感だ。鼻の穴の内部から鼻の外へと出ていく境の部分は鼻水を鋭敏に察知はするのだが、ねばりけのほとんどないその汁は察知した次の瞬間には顔面を離れ自由落下を開始している。
『「腹の虫」の研究』を読んでいると、身体感覚さらにいえば心身の感覚というのは時代や環境によって可変的なものであるとの思いを強くする。心身一元論と心身二元論の区分もそうだし、内臓のとらえかたや、病の原因だって違う。個人が認識し実際に感覚するものがすでに現在のそれとは異質なのだから、当時の病に現在の診断を当てはめることが適当かどうかわからない。
近世日本の個人が感覚する鼻と、現在の僕の鼻とははたしてどこまで相似だろうか。もしかしたら近世では洟水なんて平気で垂れ流すもので、鼻の穴の際の部分が敏感にくすぐったがることもなかったかもしれないのだ。奥さんは梅核気になりやすく、そのたびに半夏厚朴湯を服む。この症状は西洋的に言えば咽喉頭異常感症などとも名指すらしいが、うちでは梅核気だ。これが江戸だと虫が原因だったりして、赤蛙を煎じて服むことになる。世が世なら巫女、と豪語するほど奥さんは気圧の変化に敏感で翌日の降雨を言い当てるが、世が世なら蛙を服まされていた。世とは変なものだ。