2022.09.10

昨晩お風呂に入ったあと本棚を掘り返したが、やっぱり『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』は売ってしまったようだった。今日は外での労働だったので駅前の本屋で買いなおす。『夏物語』も買う。もう文庫になっていて、最近の本だと思っていたから驚いた。昼食に目星をつけていたカレー屋は開店前で、途方に暮れかけたが町の中を元気よく本を読んで歩いた。日差しが強くて、日焼け止めも日傘も忘れた。きのう思い出したのは「頑張れ、いつか死ぬ」だった。

こないだミガンの家で数人で鍋など食していたときのこと。完璧な夜であってお腹も減っていて、たくさんの野菜、山盛りのネギの丼がどんと置かれ、嬉しいな、薬味が際限なくあるように思えるくらい充実してるのは、嬉しいな、マロニーもあるな、嬉しいな、ポン酢もあって、たらもあって、牡蠣がある。ビールもあって、これはいったい、なんだろう。ふわふわと浮かんでは我々の食欲と時間をくるんでゆくまあるい善意しかないような湯気、実のある笑い声、いい程度のテレビの音、「穏やか」が充実していたそのせつな、私はふっとあからさまに無記名の不気味な不安と目が合った。

笑いも睨みもせず、そいつは会ったこともない不安だった。不安はいつだって少々かわいげのあるものであるのにそいつの退屈な無表情さったら。ただそこに、ぼーとおるだけであった。そして私は箸を持って茫然とすること少し、これからも人生が続いてゆくということに、心底ぞっとしたのだった。死ぬまでは人生が続くということが私を強烈に、ごん、とノックし、心底脱力したのだった。

川上未映子『そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります』 p.166-167

ほんとうに好きだったな、というか、初めて「純粋悲性批判」を見つけた時の衝撃は、それこそ、ごん、とノックされるようなもので、夢中で読んだ。さあさあと気持ちよく流れていくような音。その記譜としての文章。小学校から中学校にかけて、僕は文字に対する思考の基礎は保坂和志に染まり、リズム感や技芸については西尾維新にかぶれた自覚がある。後者は高校生のころ川上未映子に移っていった。僕は西尾維新の饒舌の延長線上に「純粋悲性批判」を読んでいた。僕はいつでも饒舌にしびれる。大学になって声を使った語りは菊地成孔に憧れたが、これはうまくいかなかった。寅さんを見て、これは夜電波の調子だ、と思った。だから今は渥美清が模倣の目標だ。まったくうまくいかないが。練習したい。僕は楽器はできないままだが、その代わりに声や文字で音を鳴らしたいのかもしれない。別に代わりというわけでもないのかもしれない。ボイトレしてみたい。

久しぶりに「純粋悲性批判」の文章を読んでいると、このころは最強だったな、という感慨がある。政治というものを、それは教室内の人間関係から行政の利害調整にいたるまでのすべてのことだが、ちゃちなものだと心底思えた時期。自分の頭に世界がすこんと収まるという自意識のたしかさ。この頭で建設するあらゆるものこそが巨大で、みみっちい事務や社交など問題にならなかった。だからこそ、どこかのタイミングで置いて行かれた感じがあったのだろうと今ならわかるし、事務や必要の大事さもわかるようになった今こそ刺さる部分もあるかもしれない。十八の僕には、フィクションの十四歳の嘘くささを鋭敏に感じ取ってしまっていたけれど、三十一の僕はおそらくその嘘を見抜けない。あるいは、自分だけのものだった若さを一つの他人事として相対化できるだけの距離ができている。でも、やっぱり『ヘヴン』のあの文体は今でも退屈だろうな、というのも一方では思う。僕はこのリズムが好きだったのであって、書かれる内容はなんだってよかった。それは今でもそうで、調子が気持ちいいかどうかが読むうえでなによりも大事なことだった。

小説を読むと、あっという間に頭の中と世界が結婚してしまう。それは今でもそうで、小説のことを考えていると週五で自分がしていることがばかばかしく思えてまったく身が入らない。いや、訂正しよう。べつにいつだって身は入らない。小説が入ってくると、必要の論理でなんとなくいなしてきた社会のばからしさが鬱陶しくなってしまい、耐えられないような苛立ちに成長しかねない。それが危険なのだ。僕はもう本は値段を気にせず買う生活を手放したくはない。難儀。

夜は後輩の家で録音。楽しそうでよかった。IQが高くないと入れないクラブの会員になったそうで、胡散臭すぎて悪の組織のようだったが、集まって何をしているかというと、公園で大量の水風船を膨らまして遊んだりするらしい。ますます怪しかった。取り込まれないように用心する。にこにこして帰宅。乗り換えの駅で両腕を振り回しながら音程という概念を破壊するようにして歌うおっさんがいて、楽しそうだった。頭の後ろにぼんやりと痺れるような感覚があって、眠気が限界っぽいようにも感じられる。でも帰ったらシャワーを浴びないと。歯も磨かないと。できるだろうか。自信がないな。乗り換えた電車では女の人が男の人に蔓植物のように巻きついていて、仲良しだった。男の人はたまに頭をぽんとして、女の人のほうはカクンと膝から落ちかけた。よっぽど眠いみたいで、はやく家に着くといいね、と思う。奥さんは今日、船に乗ったらしい。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。