2022.10.19

今夜は全方位的にホラーが苦手という先輩と『貞子vs伽椰子』の同時鑑賞会を行うことになったので、日中から公開当時の白石監督のインタビューや対談を読んでわくわくを高めている。この作品、僕はたいへん好きなのだが、以前一緒に見た奥さんは「怖いから二度と観たくない」と不参加を表明。それを伝えることで先輩は余計に怖がらせてしまった気がする。僕はこんなギャグにしかならなさそうなタイトルで──じっさい発端はエイプリールフールの冗談なのだ──、しっかり怖い映画を作った白石監督のプロ意識にこそ惚れたので、怖くないとは言いたくない。ちゃんと怖いからこそ面白いのだ。前半の恐怖に震えるからこそ、サービス精神たっぷりの後半が心底楽しい。テンポよく恐怖と笑いの交互浴で整わせてくれる。だから鑑賞後の気分は爽快だ。傑作だと思う。この映画をコケにしている人は、タイトルだけでネタだと決めつけて、その先入観にとらわれて映画を観ることができていないのだと思う。だから、「二度と観たくない」というほど怖がった奥さんのほうが、自称ホラー映画好きよりもずっとまともにこの映画を観て、享受していると思う。鑑賞前から気持ちが昂っている。こんなに好きだったのか。今回は再見だし、先輩を励ましながらラストまで連れていくという役割もあるから、ディティールを愛でるように楽しみたいと思う。

いろいろとディぐっていくうちに、とうとうAlabama Shakes を聴きなおすところまできた。もはやよくわかんない。『貞子vs伽椰子』の劇場公開は2016年、『シン・ゴジラ』や『君の名は』の年だそうで、もう六年も経っているのかと思うと、なんというか、うわ、という気持ちだ。でも結婚して六年と考えると、まだそんなものかという気にもなる。僕は奥さんと暮らしだして徐々に人格を形成しなおしていった感覚があるから、この六年はいまだに新シーズンみたいな感覚がある。だから2016年のあれこれは僕の黎明期という距離感で、遠くもあり、新鮮でもある。変な感じだ。だから2015年のAlabama Shakes は前時代のもので、個人史としてはここにだいぶ大きな隔たりがある。2015年以前の読書や音楽や映画の経験は、他人事だという手応えが強くある。いや、つい先月の読書もだいぶ忘れてしまっているし、僕はいつでも少なからず僕が他人事のようではあるのだけど、それでもうっすら保たれている連続性が、2016年を境に途絶えているような部分がある。『貞子vs伽椰子』はでも、僕にとっては今年の作品で、観たのはつい最近のことだったように思う。たぶん。ちなみに2016年はVHSの製造終了の年でもあるらしい。『貞子vs伽椰子』はVHS へのレクイエムでもあったのだと思うと熱い。

帰宅してさっそく会は始まる。きょう一日ていねいに高めていった期待を裏切らない出来栄えで、改めて傑作だと思う。二回目だと結果ではなく過程を楽しむことに集中できるのもいい。新鮮な悲鳴を悦んだり、的確なコメントに感心したりしながらわいわい観る。クライマックスの対決はまさかのおかわり。怖いんだけど、怖さのピークと沸き立つような興奮が一挙に来る感覚を存分に堪能してくれたようで、自分の好きな作品を好きになってもらえるのは嬉しいものだ。しかし「一人で死ぬのは嫌だから、見てて」ってすごい台詞だ。貞子も伽椰子も、ある意味だれも見てくれないまま死んでいった個人なんだよな、としんみりする。二人とも、ようやく見つめ合っても死なない相手が見つかったのかもしれないね。ゾンビに顕著だが、僕はモンスターの側に肩入れしがち。満足してほこほこしていたら、その様子を見ていた奥さんが、やっぱり私も楽しみたい、と言うので僕のお気に入りのシーンのピックアップと、クライマックスだけ一緒に観た。楽しめたみたいでよかった。

その後ホラーの魅力をムキになって語っていると、ホラーの話になると、すぐに個別具体的な話に脱線して空回りするオタクみたいになるね、と言われる。失敬な。

入浴剤の塩を入れたお風呂で温まると、自律神経由来であろう背中の痛みとのぼせがようやく引いた。一日中痛かったしのぼせてた。霊障だったかもしれない。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。