2022.10.20

スズキナオ『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』を読んでいると自分もこのようにしたいと思えてくる。休日の今日はふだん行かない近所を散策しようと思い立った。自転車はすっかり空気が抜けていたので空気入れを使う。しゃがんでタイヤの空気を入れるところを探り当てるのも、ちんまいキャップを慎重に取り外すのも、ポンプを上げ下げするのも、ふだん稼働させない関節や筋肉が動かされる感じがあって、運動不足を痛感する。子供の頃は平気でしゃがんだり飛び跳ねたりしていた。あれはすごいことだったのだ。タイヤはしっかり固くなった。ふだん向かわない方向に自転車を繰り出す。

どんどん北上していくと、足立区の奥の方に入っていく感じがある。トラックも自転車も犬の散歩も増えてくる。建物が高床式で、地上が駐車場になっているタイプのファミリーレストラン、つり具店、家電量販店、一軒家、車の展示販売所。東京にもこんなにいなたい場所があったのか。地方感がものすごい。公園が多い。そのなかでも大きめの公園に入っていく。自転車の乗り入れは禁止と大きく看板がかかっているが誰も守っていなくて頼もしい。

生物園。券売機に300円払って入ると、巨大な水槽に色とりどりの金魚が泳いでいてもう楽しい。水槽の手前ではリスがもすもすと胡桃を頬張っていて、頭上にはリスたちが回遊できるようにチューブ上のケージが回らされている。一匹のリスはそのなかほどで、これもまたもすもすと何か食べている。右手手前の「あだちの生きもの観察室」から順番に眺めて行って、思いのほか充実した展示内容に驚く。庭園に出て、羊と山羊を見る。ふれあいコーナーにひしめくモルモット一族はほんとうにぷいぷいと鳴く。鳥インフルエンザ対策で鳥が放し飼いになっているコーナーはよく見えないけれど、カンガルーがこちらに目線を投げかけている。梟はこちらがあれこれ移動しても決して正面を見せてくれない。アヒルとカモは丸まって眠る。昆虫ドームは畑や林を再現した環境に虫虫が放たれているらしく、草むらに目を凝らして探さなくてはいけないのだが、僕はバッタしか見つけられなかった。先を歩いていた老人たちが楽しそうに、あっいま何かが跳ねたね、なんだろうね、と声を掛け合いながら虫を探していて可愛らしかった。僕もはしゃいでいた。それから活発なリクガメやチンチラ、微動だにしない大きなトカゲ、大きくはないトカゲ、小さいトカゲ、のんびりした老猫や気まぐれなリズムですれ違いあうピラニアたち、落ち着きのないリスザルに悠々とした巨大魚、そして温室にひらめく蝶たちを眺めていく。人間以外の生き物にこうして目を凝らすのは久しぶりな気がする。僕らとは腕の本数も関節や骨格の様子もなにもかもちがう。それでも各々の機能に応じて、なにかしら動作している。生きている。驚きだ。この世界は人間だけのものではない、という観念は、僕の中で随分と抽象的なものになっていたようだ。こうして具体的に圧倒的な他者を前にして、僕はなんだか元気になってきた。コーラの缶を買って、ベンチで日向ぼっこがてら休憩。甘ったるいそれを飲み干すまで『自由が上演される』を読んでいた。ちょうど三章をまるごと読んだ。内在主義の隘路に陥らないように注意を払いつつ抵抗の足掛かりをどこに見出せばよいのか。自由を上演するためには。

カブトガニがしゃこしゃこしてるのを何分でも見ていられる。足が何本あるのかついによくわからずじまいだった。カブトの内側でいくつもの鋏が複雑に動かされる様子はホラー映画のクリーチャーのようで愉快だ。さまざまな蛹、さまざまなゴキブリ。ゴキブリはさっきリスザルがむしゃむしゃ食べていた。餌やりのおじさんによれば優秀な昆虫スタッフがいて、各種虫をそれこそサルに食べさせて余りあるほど増やしているとのこと。ゴキブリはオスのお気に入りの餌だそうだ。メスは食が細くてミルワームのほうを好む。再入場票をもらって、僕も遅めのお昼をいただくことに。竹ノ塚の駅前まで出て中華タカノでラーメンと餃子。すばらしい。ビールの誘惑にかられたが、飲むとおしまいになりそうなので我慢。生物園二階の庭にはテーブルがあった。あそこで蝶を眺めながらおやつを食べたら楽しいだろうな、と思いつき、道すがらスーパーでおはぎを買う。公園では子供達が笑い声をあげながら走り回っている。走ることがそれだけですごく楽しい。楽しいから余計に走りたくなる。うきうきした気持ちが思わず口角を目一杯にあげ、目尻をしわくちゃにし、頭にのぼった興奮はそれではおさまらず喉をそわそわさせ、お腹をぽかぽかさせ、足をムズムズさせ、走り出さずにはいられない。それは隣で笑う友達も同じだ。二人は顔も見合わせずにぴったり重なる高さで歓声をあげる。そして草っぱらを走り出す!

二度目の生物園も気ままに眺めていく。ここは導線が線的でなくて、各コーナーが程よく点に分断されているからこちらもてきとうに歩き回れるのがいいな、と思う。時間をおいて見ると爬虫類たちが別の場所でちがった体勢でじっとしていて、ちゃんと動いてるんだな、と面白い。別の生きものたちを再度眺めて、アヒルとカモが起き出して元気よく水を飲んでいた。リスたちは寝ているのだろう、もう見えなかった。いいところで二階に向かい、庭を飛びまわる蝶や蜂を眺めながらおはぎを三つも食べる。三個入りしか売ってなかったのだ。満腹で、また爬虫類の様子を見にいく。地下の展示も面白く見るが、突き当たりに鎮座する巨大なスッポンモドキが邪悪だった。はっきりと悪意を持っていた。目を見開いて、大きな口を開けてこちらに飛びかかってくるので怖かった。どん、とガラスに頭突きする勢いで、必ずお前を噛み殺す、という強い意志を感じてしまった。負けじとカメラを構えて何枚も写真を撮るが、全部ブレた。人間の都合で狭苦しい環境で生を管理されるものどもの無念や憎悪を、たった一匹で体現するようなスッポンモドキだった。

夕方には帰宅。『ディスコエリジウム』をとうとうクリアする。ある邂逅のシーンがあまりにロマンチックでくらくらした。ロマン主義が現代人に与えている苦痛や苦悩を思うと、僕はロマンチックであることを決して善いとは思えないのだけど、それでも甘美な幻想にどうしようもなくときめいてしまう。露悪的で、悲観的で、皮肉屋なクソッタレゲームだからこそ、こういうロマンチックが輝く。ロマンなんてものはもはや肥溜めにしかない。あるいはロマン主義というものがクソに成り下がったいま、甘美な幻影はクソの中に見出すしかないのかもしれない。これはそういうゲームだった。ラストのあっけなさも、わざとらしいほどにこれまでの道行を総括してくれる白々しさも、とてもよかった。キム・キツラギ、僕は貴方がかなり好きだよ。

柿内正午(かきない・しょうご)会社員・文筆。楽しい読み書き。著書にプルーストを毎日読んで毎日書いた日記を本にした『プルーストを読む生活』、いち会社員としての平凡な思索をまとめた『会社員の哲学』など。Podcast「ポイエティークRADIO」も毎週月曜配信中。