書けないとき、頭が全く動いていない感覚があるのだが、これはアイデアの枯渇とか知識の不足とかそういうことではなくて、単純に読むことの不全なのだ。読めていないから書けない。読むとは、自分のものさしや速度をいちど括弧に入れて、テキストの価値観と足取りに合わせて考えるということなのだが、読めないときというのはテキストに自分を合わせるというのができない。たいへん独りよがりに指や目をがちゃがちゃ動かすだけのバカに成り下がっている。
僕はいま、せっかちの馬鹿野郎だ。腰を落ち着けて相手の話を聴くというのができていない。そんな状態で満足に書けるはずもなく、書くとはまず書かれた文字を読むということで、書かれたそばから他者である文字に、書く自分が主体性を預けていく行為なのだ。僕のペースを書かれつつあるものに押し付けることは不可能だし、書かれつつあるものに代わりに書いてもらうというのもできない。書くという行為の主体は、書く僕と書かれつつある文字とのあいだにある。今の僕は近代的自我が肥大化して、あらゆることを意志で実行できると感じているようだが、それは無理だ。まず黙れ。他人の話を聴け。そのためにも、読みづらい本を読みなさい。はい、わかりました。
そして本が読まれた。
一枚で着れて、ゆるっとしたシルエットしてる無地のロンTが欲しいのだけど、なかなかいいのが見当たらないまま本格的に寒くなる。毎年のこと。
夜は美味しいご飯とお酒を飲んでごきげん。録音をして、『最遊記』と『シャーマンキング』について熱く語った。
